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シンガポールの美しい自然とその陰


先日、学生ぶりにシンガポールに住む彼に会いに行ってきました。

最後に会えたのは私が大学四年の2月。
まる2年半会ってなかったので、前回の記事では久々会うのは不安だとか言ってたんですが、なんやかんやで楽しく過ごせました。


今回でシンガポールに行くのは5度目。
5度目でもまだまだ学びは尽きません。
今回はその内1つお話できたらなと思います。


美しいブキテマ高地でのハイキングについて


滞在中はおさんぽしたり、海に行ったり、彼の友人と食事したりと楽しく過ごしました。


その中でも特に印象的だったのは、彼のご両親と一緒に4人でブキテマ高地にハイキングしたこと。


かなり傾斜のある険しい道をご両親は小慣れた様子でどんどこ進み、私達も後をついていきました。

Bukit Timah Hill

やはり南国。見慣れない植物や小川、山頂からの眺めに魅了されました。(植物すきなんです)


なにより、彼と彼のご両親と一緒に、汗かきながらハイキングした事自体がとても楽しかった!


彼やご両親は、いわゆる俗世間とは少し異なるというか、少々アナログな感じがあって。
馴染めるか心配だったけど、一緒に経験してみると案外心地のいいものでした🌿


自然を感じながら運動して、あー生きてるって良いなって空気美味しいなって素直に思えた。なかなか単なる旅行では経験できない、素敵な時間でした。


シンガポールと日本の歴史

あと、シンガポール国立博物館にも行ってきました。割と序盤に行ったのですが、少々気が滅入っちゃいました😂

なぜかというとそこでは、日本に攻められた時代のシンガポールの歴史をありありと突き付けられたからです。


第二次世界大戦中、日本は強く次々とアジアを攻め統治していきました。シンガポールもその一つ。マレーシア半島から、なんと自転車で海を渡ってシンガポールに攻めてきました🚴


シンガポールはそれ以前もマレーシア、イギリスの統治下にありましたが、日本のだけは別物と捉えています。なぜなら攻撃され非友好的に統治されたからです。


そのような歴史は彼とお付き合いし始めた頃から知ってはいましたが、改めて国立の博物館でその情報を学ぶとまた深刻さが深まります。


博物館内でも日本ブースはかなりのスペースを占めており内容もheavyなので、見終わった頃にはかなり気分が落ち込んでしまいました😂


そして今日たまたま、とある美術系YouTubeチャンネルにて、藤田嗣治(日本の西洋画家)が第二次世界大戦中にブキテマ高地に行っていたという事を知りました。


藤田嗣治はお仕事として戦争の絵を描いてたのですが、画家の視点としては

「ブキテマは最高に絵になった」
と言っていたようです。


ブキテマ。聞き覚えがあると思ったらあのハイキングした場所でした。


絵になるということは、それだけ激しい戦いだったのでしょう、、とてもショックでした。
 

あの美しいブキテマ高地で激しい戦いが行われていたなんて。


確かにハイキング中シンガポール軍のトレーニング施設や軍専用の通信塔があって厳重にガードされてたので、思い返すと納得がいきます🪖

今日記事を書こうと思ったのはこの為です。とてもびっくりしたからです。


歴史は変えられないけれど、今は変えられる。


落ち込んでも良いけどどんなに落ち込んでも事実は変わらないので、教訓を学んで今に活かそうと思いました。


シンガポール初代首相リー・クアンユーの言葉に以下があります。


Forgive, but never forget.
(許そう、でも忘れまい)


この言葉はシンガポール国民に浸透していると聞いたことがあります。

そのため、今でもシンガポール人のお友達や彼、彼のご家族との会話で歴史の話題が挙がると、内心ヒヤヒヤしてしまいます。


これから長い時間がかかるかもしれないけど、


ヒヤヒヤ怯えるのではなく、
きちんと向き合って対話できるようになりたいです。


今回はここまでにしようかなと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました😌🌷


それではまた。