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☆違和感☆

[違和感の中に真実あり]


なんとなくもやっとする中に、

生きる道は隠されている。


私は幼い頃から、

[母親]

というものに関心があった。


全ての幼子が必要とする母親、

という観点から少しずれた関心だ。


私の母が、

私の知ってる[母親]という概念から大きく逸脱してる事への違和感から始まった。


「本当のお母さんは、

いつ私を迎えに来てくれるのだろう」

と密かに思っており、

母にもそう尋ねていた。


その幼い娘の問い掛けを、

雑に返答する姿もまた、

私の[母親]という辞書には載っておらず、

困惑し違和感を強めていった。


もし私が娘にこんな質問をされたら、

悲しい想いに成るに違いないと、

想像上でも確信していたが、

母はまるで他人事のようだった。


小学校の同級生にクリスチャンがいた。

そのお宅に遊びに行くと、

ゆったりとした穏やかな空気の中、

友人のお母さんが優しい口調で、

紅茶とケーキをテーブルに用意してくれた。


私の本当の母はこういう人に違いないと確信が強まった。

「これこそが私の生き方だ」と、

心が実感した瞬間でもあった。


帰宅後母に出来事とその想いを伝えると、

私の真剣な想いを、

笑いながら軽くあしらう。


「ああいうお母さんに成って欲しい」という、

私の理想の想いを、

軽率な物真似で返してくる。


もし私が、

娘にこんな想いを告げられたなら、

悲しくて泣いてしまうと想像上でも確信したが、

この人は何故、

「自分の事を否定されてるのに、

全くこたえないのだろう」と、

心底不思議に思うこの気持ちは、

その後もずっと心の端にあり続けた。


大人に成るにつれ、

いつしか私は、

「日本一の母親に成る」という、

根拠の無い自信が備わっていた。


ある時期、

友人の担当美容師がきっかけで、

新宿二丁目に足を運ぶ機会があった。


カウンターで隣り合わせた女性言葉の男性から、

「あ~んた男必要?」と言われた。

「子供は産むかもしれないけどさ、

男必要?」

「あんたさ~、母性で男が育つと思ってんの?

息子じゃないんだからさ、

男に母性なんか必要ないんだよ!」


その時は呆気に取られたが、

「母性で接した男性は巣立つ」と、

今解釈した。


その当時よく思う事があった。


世の中で名の知れた有名な女性達から聞くような、

「皆さんが私の子供のようなもの。

こんなに沢山の子供達に恵まれ幸せです。」

的な言葉。


当時の私は全力で否定していた。

彼女等は大抵出産の経験が無い。

女性と言う命を宿す権利を放棄した、

または不本意にその機会に恵まれなかった者の負け惜しみだと思っており、

何よりも、

「私は絶対あのような人生を送りたくない!」

と強く思っていた。


しかし今なら解る。

「強く否定する想いとは、

自分のすぐ近くにある現実だ」。


その後ある人から、

「あなたには母性が既に備わっている」と言われた。

過去に何度も何度も母親の経験があると。

今生は出産の計画を立てて来てないと。


ストンと腑に落ちた。


人間は魂を円に近づける為に様々な経験をする。

私は既に完成してるグラフの面を、

「未完成な自分の母に見せつけたい思いで、

母親に成る事を望んでいた」と気づいた。


元々私の人生には無い計画を、

母親に対し、

「自分の承認欲求を満たす材料」に使う為、

母親に成る道を選ぼうとしていた事に気づいた。


振り返るとずっと、

私の人生に「聖母マリア」が寄り添ってくれていると感じる。


「全てを慈しむ愛」


以前の私が、

「絶対そう成りたくない女性像」

という立ち位置に、

今私は収まっている。


嫌いと好きは紙一重。

普通は普通のままだが、

☆対局には反転の可能性が含まれる。



※ここで終えようと思ったが、

折角今お題が出てるので、

#私の不思議体験

を追伸として書き加えておこう。


昨年のある日、

出先でバッグの裏地が濡れている事に気付いた。

水気のあるものは一切入っていないのに、

バッグの中がびしょ濡れ。


恐る恐る裏地に鼻を近づける。


特に匂いは無いが、

無臭という感じでも無い。

どことなく人体から出る液体に感じた。


「破水だ!」

そう思った。

有り得ないが確信した。


数日後、

自宅で瞑想のように目を瞑っていると、

頭上に光と共に聖母マリアが現れた。

マリアは妊婦だ。

マリアのお腹の中に私がいるのが見える。


私の頭頂部が開き、

真っ直ぐ光が降りて来る。

チャクラが産道と成り、

マリアから生まれた私が、

私という母体を通り誕生し、

臍の緒を自分で切った。


その時のメモ書きに、

「第三チャクラ太陽と

第七チャクラ源の光の統合」

「光の子」

と書いてある。


そして床が濡れていた。

床に水溜りが出来ていた。

数日前の「破水の予兆」を思い出した。


説明し難いが、

生まれ変わったような気はした。

「自分で自分を生み出す」という経験。


これは、

「自分の人生は自分で創り出せる」

という事を伝えているのだろうが、

そんな単純な事でもない気がする。


もっと壮大な何かを伝えてきているように感じる。


それぞれが思い描くヴィジョンは、

具現化が可能である。

夢は現実に反転する。

自分を信じて諦めず、

必ず到達する事を、

今、自分自身に誓うがいい。

気に留め目に留め読んでくださりありがとうございます☆