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その先にあるものってなんですか

夏休みに大阪のおしゃれバーに行った続き。

バーのマスターが、コロナ禍を期にカウンセラーの資格を取ったらしく、とにかく話の聞き方、引き出し方が面白かった。

私たちの他にも何組かお客さんが来ていて、マスターは人生相談にのっていた。

ちょっと話が聞こえてくる。

マスター「それをしたとして、その先にあるものってなんなんですか?それをする事で逆にいらない苦労をしてないですか?」

恐らくマスターは、相談者の行動の真意がわからなかったんだと思う。

言葉を変えて、相談者にいろいろな事を聞いていた。


例えば
① 医師になりたいけど学力が足りないから東欧の医学部に入学して勉強している

② 働き方が気に食わないから上司と面談を繰り返している

行動の先にあるものが明確なのは圧倒的に①だろう。

②は面談を繰り返している時点で、その職場の労働環境が変わる余地がないのは明白だし、仮に希望を通せたとしても自分の立場も悪くなって働きにくくなる可能性もある。

それって要らん苦労にならない?

そんなに辛いなら、自分の希望が叶う職場に転職したほうが良くない?


マスターは相談者にそういう事を言いたかったんだろうなと思った。


マスターの発言で、以前今の職場の上司に言われた言葉を思い出した。

上司「周りの空気を読んで自分の気持ちを出さないというところは、P先生のいいところだと思う。きっと、先生は2割くらいしか本当の気持ちを言ってないんじゃないかな?でも時には、後悔しないように自分を納得させるための行動もしたほうがいいと思いますよ。」

②は自分の心を満たすための行動なんだと思う。
それ故に、自分の心がぶれたり、見失うと、行動によって何が得たいのかっていう先が見えにくくなるんだろうな。

私は合理的なんだと思う。

目標達成のためだったら、自分の感情度外視に限りなく正しいと思われる行動を選ぶ。
そうなると、結局目標達成した後に精神擦り切れてるというか。
嬉しいはずなのに空虚感を感じる事も多かったんだよな。

だから、最近は自分を納得させるために行動していた。
行動している間、自分自身、何を求めるて行動しているのか分からなかったし、仮にその結果、何かを得たとしても、今更それをどうする気もない自分がいる事も分かっていた。
でもただひたすら気持ち優先に動いてみたら、吹っ切れた感がある。


心のための行動も、明確なエンドポイントとか落とし所を、自分の中に設定しておけるといいんだろうね!



法に触れたり、他人に著しく迷惑をかけない限り、自分の心を満たすための行動って必要なんだろうな。

人の心は分からない。

だから私も今後、相手の行動の真意を丁寧に質問して、相手を知っていけたらいいなと思う。

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