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「何者になりたいか」悩む日々

これまでの人生は割と楽しんで生きてきた方だと思うし、やりたい事が常にあったので進路や就職で迷うという記憶もあまりない。そんな自分が五十路手前にして、こんな事で迷うとは思ってもみなかった。結局自分は何になりたいんだろう、と。

器用貧乏な自分

最近、周りから「器用貧乏だね」と言われることがある。趣味もたくさんあるし、色々と楽しんでいるけど、あまり仕事とかに活きてない。どちらかと言うとネガティブな言葉だけど、今の自分を表すのにふさわしい言葉だと思っているし、そんな自分がそれほど嫌いじゃない。

幼い頃から何でも興味を持つタイプで、興味を持ったものは本を読んだり、自分で作ってみたりするのが好きだった。これは今でも変わらない。逆に言うと「将来の役にたつ」「周りに評価される」ということにはまったく興味がないので、あまり明確な将来目標を持たずに生きてきた。それで特に困ることはなかったし、十分楽しんできた。本当に興味だけで進んできた。

器用貧乏の成れの果て

もっと凄い人はたくさんいるので、器用貧乏と自称してる事に図々しさも感じてしまうのだけれども、色々やってるうちに「大抵の事は何とか出来る」と感じるようになってきてしまった。結構な難題でも、どうすれば出来るか、そのためにはどんな能力が必要で、それを身につけるにはどういう手順で、どれくらいの時間がかかって…といった具合でスケジュールはなんとなく作れるし実行もできる。

そういう状態になると、なんだか今まで楽しんでやってきたことが本当に楽しいのかと疑問に思うことが出てきてしまった。作業計画を立てて、それをひたすらこなす。時々状況を確認して計画をメンテナンスする。そういった作業の繰り返しで成長できるようになってしまったのが、つまらなく感じるようになってしまった。

特に最近は優秀なネット記事やyoutubeで私よりも何百倍も優秀な人がチート級に成長できる方法を教えてくれる。また生成AIを使うことで、分からなかったことが簡単に理解できるようになる。こういうのをつなぎ合わせると、これまで無理難題だと思ってたことがたやすく出来るようになった。そのせいで、今まで本屋とかネットとかで微かな情報を探って試して、といった作業がだいぶ減ったような気がする。それが満足感が著しく減った原因だと思う。

改めて何がやりたいか考えてみる

そんなわけで絶賛人生に迷子になっている状態なのだが、改めて何がやりたいのかを探してみようと考えてみた。

オリジナルを生み出したい

モノ作りはすごい好きなんだけど、マニュアル通り作るのが好きなタイプなので、あまりオリジナリティを出すのは苦手なタイプ。ただその分、身に着けた技術を使ってオリジナルの作品を生み出すことにあこがれがある。ミニチュアでも刺しゅうでも何でもいいので、オリジナルを生み出したい。

楽しさを多くの人に伝えたい

そもそも地位や名誉には興味ないし、女性にモテたいともあまり考えたことはない。それこそ純粋に楽しんでいる自分を誇りに思っていることすらあったんだけど、今となってはどんな邪推な思いであれモチベーションになっている人たちをうらやましく思う。

自分は他人にはあまり興味ないなとは思っているものの、何か教えたりするのは結構好きだったりする。楽しさを伝えて、何か成長のきっかけや学びを得てもらえるのは結構うれしい。そういう人間を目指してみるのも悪くないかもしれない。

結局、悩むのって楽しい

実はこの文章を書き出した時は本気で悩んでたんだけど、書きながら頭を回していくと、意外とこの状況も楽しいんじゃないかと思えてきた。今ある状況がなかなかの難題で、これに答えを出してやろうじゃないかという気分になっている。

人生の目標なんて青臭いなと思っていたけど、歳を取ってみると結構大事なような気がしてきた。自分自身の方針でもあるし、これから高齢化していって社会に自分の能力を説明するためにも、こういう整理が大事だと思う。まだまだ50歳手前だし、今後に備えて引き続き自身のテーマとして悩み続けていきたいと思う。

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