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読書道No.0001「ソウル・オブ・マネー」③第3章 お金にまつわる幻想から自由になる

(1)「欠乏」神話(P.70~73)

 私たちは「無い」というマントラに支配されていて、それこそ”時間がない”、”休みがない"、"お金がない"、"やる気がない"・・・と毎日大なり小なり「無いないナイ」と繰り返されることで、思考のベースとして「言い訳」という形に姿を変え、はたまた根深い「社会的トラウマ」という姿で居座り続けていると読み取りました。
 人生における不充分という感覚(これらの思いこみ)により、持つ者と持たざる者の間での嫉妬や偏見、人生の分離を生み出す中心となり得るというのです。しかし、この状態は間違ってはいないでしょうか??という投げかけがここには書かれていました。

(2)プログラミングされた欲望と恐怖(P.74~86)

 今から200年以上も前アメリカ革命の時代に、スコットランド人哲学者であり経済学者であるアダム・スミス氏が言った「己の生活を向上させるための個人の当然の努力は、その途上にあるどんな障害物よりもパワフルである」、更には「個人の”利益”という”見えざる手”こそが、もっとも自然な導きの力なのだ」という言葉が表す「自由競争」の経済について書かれていました。

 それと合わせて書かれているのが「欠瓶からくる欲望と恐怖はプログラミングされたものだ」というベルギー中央銀行の元高官・ユーロ通貨立案者の一人であるベルナルド・リエターの言葉でした。
 欠乏というものは自然界にも人間の性質にも存在しない「システム」であって、マネーシステムに組み込まれたプログラムであるとも述べられています。それは、当たり前に私たちの最も身近に存在し、かつ深部にまで染み渡ったものとなっていることに警告を示しておられました。
 その欠乏神話を3つのストーリに乗せて、気づきを与えてくれる内容になっています。
 
 皮肉にも、ビジネスに関わる学びをする人ほど、そういった「欠乏」が顕著に言葉や行動に出ていて「○○が足りないから、○○をどう補うか」なんて内容を、よく見聞きすることと思います。
 実際、私の周りでメッセージをくれる方にも「収入を増やしたいと思いませんか?」といった謳い文句が多くみられました。
 そんな謳い文句に全く魅力を感じなくなって(そこは内観を進めるとともにステージアップしたということかもしれません)徐々にそういう人との交流も距離がとれてきたように思います。(それでも、まだ触れる機会がありますが)


(3)お金の終身刑から解き放たれる(P.86~101)

 ここでは最終的に「十分な資源を獲得するために闘い・競争する必要」があった時代の終わりと、新しいステージに移行しきれず惰性で走り続けて来たことへの警告が書かれています。
 お金というシステムは絶対値に決まりがある。それが故に「誰か」が稼ぐ(+計上)ことは「誰か」の損失(-計上)という事になる。いわゆる誰かの利益を搾取の時代は終わり、各々が自身の充分を知り「過剰な搾取」を卒業する=「欠乏神話」が築いたシステムからの脱却を果たす、それ意味していて、それは本書が書かれた2003年時点ですでに移行期だったという事なのです。
 当時わたしは高校生2~3年生でしたが、今の「悟り世代」といわれる世代高校生・新卒のみなさんの方がよほどその事を体感として知っているようにも思います。
 稼ぎたいとかよりも”どう働くか”とか、必要十分程度に稼げればいいだとか…自分たちより上の世代にとっては「志低い」と言われるかもしれませんがね。。。そういう「新世代」だけが素直に受け入れられるものも、リスペクトを持って見られるようになってきました。
 「今どきの若い者は~」なんて、嫌み妬みばかり吐くのは好きじゃないし、美しくないものね~。
 そんなのは、KSBBAやKSJJIのすること・・・おっと失礼!暴言でした(笑)


◆総括


ということで、どこまで行っても
 ・オープンであること
 ・他者を本質的にリスペクトすること
 ・自分の感受性くらい自分で守れ…(by 茨木のり子)

って欠かせないし、最低限の身だしなみなんだなって繰り返し感じました。


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