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まあせっかくなので私のおばあちゃんの話でも聞いていってくれ

おばあちゃんは誰よりも何よりもテレビが大好きだった

おばあちゃんは「筋ジストロフィー」という病気で
私が生まれた時には自分の力で歩く事がほとんどできなくなっていたが
しっかり話す事もできたし
自分の好きな物を好きな時に好きなだけ食べる
自由なおばあちゃんだった

そんなおばあちゃんの毎日の楽しみはテレビを見る事だった
朝はニュースとNHKの朝ドラを見る
午前中はローカル局でやっている韓国ドラマを見る
午後になると再放送のサスペンスドラマを楽しみ
夜になれば孫である私と一緒にアニメを見たり
東京フレンドパークや水戸黄門を見ていた

おばあちゃんのテレビヲタク度は異常である
いつも見ている韓国ドラマが放送されていないと
「いつもこの時間にやってるのに放送されてない!テレビ局に電話して!」
と大きな声で私に訴えた
テレビ局に電話するとおばあちゃんは放送編成に物申していた

私とおばあちゃんは半二世帯のような感じで、
私の住んでいる家の50メートル先におばあちゃんの家があったので
いつも何かある時は私の家に電話をしては
「今すぐ来て!とにかく今すぐ来て!」と訴えていた
大体そういう時はテレビ番組の録画をお願いする時だと私は知っていた
それでも孫である私を頼りにしてくれている事がとても嬉しかった

そんな事が10年程続いた時である
軽い脳梗塞を起こした事をキッカケに
生活場所を長く暮らした家から施設に移した
もちろんテレビは持っていった
我が家で2番目に大きいプラズマテレビで
HDD内蔵で録画予約が簡単なテレビだ

最初は施設で暮らす事を嫌がった
面会に行けば必ず「私はいつ家に帰れるの?」と聞いていた
それでも「この番組、録画予約しといて」という言葉は忘れない

施設で暮らし始めてしばらく経った大晦日のこと
ついに施設に置いていたテレビが壊れた
最初にその電話を受け取ったのはもちろん孫である私で
すぐに駆けつけて復旧しようしたがダメだった
たまたま父が休みだったので
すぐに電気屋に走って店員さんに叫んだ
「今すぐテレビが欲しい!HDD内蔵で画面がデカいやつを!」
店員さんは少し驚いた顔をしながらも案内してくれた
事前に「壊れたやつを同じサイズか少し小さいくらいで頼むよ」
と我が家の銀行マンである母から言われていたが
もちろんおばあちゃんには喜んでほしいので
同じサイズどころか大きいテレビを選んだ
その場で展示品のテレビを即決購入して施設へ戻った

やっとこさ噂の大型液晶テレビの設置を終えて
テレビが映ったことに感激するおばあちゃん
「ありがとう。これで今年も紅白歌合戦が見れるわ」
と穏やかな笑顔で言っていた

おばあちゃんは段々と施設を気に入るようになった
施設の介護士の方々が毎日入れ替わり立ち替わり出入りするようになり
「様子を見にいく」という名目で人生相談をしに来ていたらしい
おばあちゃんは昔から聞き上手だったので
おばあちゃんの家には必ず誰かが遊びに来ていた
誰かを引き寄せるような魅力を持った
そういう人だったんだと今振り返っても思う

テレビを買い替えてからしばらくしておばあちゃんは亡くなった
最後は病院で息を引き取ったが
大きな病気をした訳でもなく苦しんだ訳でもないので
安らかに眠るように亡くなったんじゃないかと思う
亡くなる日におじいちゃんは病院へお見舞いに行っていたが
その時は元気だったらしい
息をしていないという病院からの連絡を受けて
車で病院へと向かった
今まで私はおじいちゃんが泣いたところを一度も見た事がなかったが
初めてその姿を見る事となった

おばあちゃんが亡くなってからもう6年が経った
今でもおばあちゃんと過ごした日々を思い起こしてしまう
介護をして面倒を見ながらなので忘れられない事ばかりだが
「大変だった」という気持ちはほとんどなかった
おばあちゃんは孫である私の一番の理解者だったので
困った時や悩んだときはいつも相談していた
今も元気に生きてくれていたら
どれだけ心強いことか…

おばあちゃんは私にとって
いつも希望の光で
憧れの存在です

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