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無題5

お久しぶりです。屋上階よりです。
お好きに呼んでください。

久しぶりの近況報告と、恋愛観についてをパパッと話していきますね。

近況報告と言ってもまぁ、相も変わらずただ生命を浪費しているだけなのですが、良くも悪くも“flat”なんですよね。感情に限りますけど。
私の周りの事象は忙しなく動いているのに、感情が著しく低下することも無ければ、反対、高揚する、ということも無いに等しくて、『心動く瞬間』というものが、もはや遠い記憶の1ページ、くらいにしか思えないわけです。
「これ楽しいな〜」
「あれやりたいな〜」
はあるんですよ。あるんですけど。
ドッッッと湧くような『何か』が、無い。
無い方が良いんだとは、思ってます。経験上、ぶちアガると、そのすぐ後ろに、ブチ下がる、が待機してるんで。

ただ、何というか、うん。

………“flat”

心電図に表せば、死んでます。生きてるけど。

窓際を牛耳っていたあの頃の私で、人と関わって、話している事がとても気持ちが良いんですよね。大体は、引かれますけど。距離感理解出来ていないところが、窓際タイプの特徴なので。
それでも良いやってなれてしまう、恐らくこれも、“flat”に関係します。
まぁ、総括すると、ラク、ってことです。
つまんな。

で、恋愛観。
ごめんなさいね、脈絡の無い文章で。
しかし自分の意思を話すときは、話し言葉で、このくらい読みにくい方が、その語り手のイメージが伝わりやすいと思うのですよ。勝手な判断です。

今まで私、人を好きになるっていう事が、本当に無くて。
7年間片想いしていた方も居ましたが、今ふと思い返してみると、果たしてあれも好きだったのだろうかと。小学生・中学生の頃なんかは、憧れも好きも、同一だったじゃないですか。

「足が速いから」
とか、
「喧嘩が強いから」
とか。

その人を好きだった記憶の理由としては、ただ、『良い匂いだったから』なんですよ。
当時からの生粋の匂いフェチ。笑っちゃうね。

これまでも、何人かとお付き合いはしてきましたけれど、果たして好きだったかと言われると、素直に首を、縦には振れないのです。
人間としては好ましいから、そりゃ一緒にいれたわけなんだけれども。恋愛面としては、分からんのです。
それに気付いたのは、直近の元恋人と別れた後なので、だいぶ時間はかかりましたけど。
『好ましい人間』から裏切られたという現実に一時は落ち込みましたね、そりゃあ、もう。
しかし反面、お金かからなくて良いか、とか、相手の目を意識して可愛いを作らなくても良いのか、とかの普遍的な観点からもそうですし、好きという紛い物の感情を正当化する、という行為を、しなくて良くなったのかと安堵したんですよね。
世間的に言う、好きな人、に対する思考では無いよなという倫理観は持ち合わせていたので、あれ?って思いまして。
んで、よく考えてみたんです。過去の恋愛遍歴を。
そしたら大体、最後の結論に至る訳なんですよ。

『好きという紛い物の感情を、正当化するという行為をしなくて良いのかと、安堵する。』

恋愛観、なんて大それた言葉を使いましたけど、そもそも存在しないんでしょうね。
私の中に、恋愛観というものは。
「倫理観が欠如している!」
と同様に。
「恋愛観が欠如している」なんですよ。きっと。

人間的には好きだし、一緒に居て居心地は良いし、将来性を持って永らく付き合っていきたいわ、アタシこの人と。と思えど、それは恋愛だとカテゴライズはしないし、出来ない。
違う価値観を持った相手だったら、まぁ恐ろしい考えですよね。私だったらきっと嫌だもの。きっと悲しいって、多分、なる。

恋愛のハードルが、私の中ではきっと高過ぎるんです。
完璧な真新しいプラスな感情と、完璧な泥沼のマイナスな感情と、それを持ち合わせた上での永久的な安心感。

これが、きっと私の中の“恋愛”というもの、なんですよね。

どうしてこう、難しいかな。
もっと単純に誰かを好きになって、もっと単純にその人だけに尽くすという行為に喜びを感じてみたいのだけれど、そもそもその土台すら持ち合わせていないので、演技になってしまいますから、良くない。嘘は。

人間は、好きです。
きったねぇから。
綺麗に見せようと取り繕ってるその腐り切ったきったなさが、好きです。

あぁあ〜〜ッ‼︎ニン…ゲン…‼︎サイッコ〜‼︎

………flat

情緒不安定なのか、安定しすぎているのか。

そんなわけでストロング缶が、冷蔵庫の中で今か今かと私を待ち侘びているので、迎えに行ってあげましょうね。

以上、今日も平和でした。
屋上階より。

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