ネトフリ感想文「太陽の子」を観て
面白かった。
戦争を題材にした映画を「面白かった」というのは御門違いな気がして未だに気が引けるし、適当であると思えないのだが、これには幾つか理由がある。
まず一つ目、「表情」。
今は亡き三浦春馬さんの、防空壕に避難したシーンだ。戦地から帰り、穏やかなひと時を過ごすと思われたのも束の間、空襲警報が鳴り、一同避難した。その際の、戦闘機の飛ぶ空を見上げている時の表情が、他シーンでの、母親役田中裕子さんの「戦地での話は一個もしなかった」の裏を容易に理解する事が出来た。
海に入って行くシーンでは、まさに「壊れてしまった」という表現そのもので、彼が戦地にてどのような経験をしてきたのか、私共視聴者側が想像し得るその背景に、胸が苦しくなった。
「怖いよ、俺だけ死なん訳にはいかん」
この言葉が全てだ。彼の全てだ。そう思った。
次いで、柳楽優弥さんの演技だ。
彼は「ディストラクション・ベイビーズ」での怪演が強く印象に残っていたが、彼の怪演ぶりは、この映画でも発揮された。正直、ゾっとした。
科学に取り憑かれ、ただ一所懸命に核爆弾開発に勤しむ彼。「取り憑かれた」という表現以上が見当たらない程の、彼の溺れぶりを、終始映像美と、登場人物達との対話、その表情や動きで、細部まで表している。
これ以上書くと一つ目にしてはだいぶ大判になってしまうので、これぐらいにしておこう。
全く議題も異なるので取り上げるのは違うのかもしれないが、「ラーゲリより愛を込めて」では悪い意味で演者の数人に度肝を抜かれたが、この映画では実に巧みに、演者達というよりもそこに「生きていた」彼等の人生の一幕を映している、そう思った。
2つ目は、「感情」。
表情とは、似て非なるものだと私は思う。
これまでにも幾つか戦争映画は観てきたが、この映画はあまり観たことのない類のそれだと感じた。だがどこかに、よく観たような安心感もある。全く不思議だ。
戦争で亡くなる事への恐怖は描かれていても、あくまで「天皇陛下万歳」の立ち位置は変わらなかった。しかし、この映画に関しては、「行きたく無い」「戦争は無意味だ」といった、現代へのメッセージともとれる台詞が多くあった。こう言った、当時で言う天皇陛下への侮辱ともとれるような発言は、今までの戦争映画史(邦画)では、タブー視されている傾向にあると思っていた。しかしだ。この映画では、ある種マイナスな発言が多くある事で、よりリアルな感情で、より視聴者側に伝わりやすくなっていると感じた。
これが令和の戦争映画か…。
その時々に交わる、登場人物達の感情のせめぎ合い、ぶつかり合う様に、私はとても興味深さを感じた。
核爆弾を開発する、というのは確かに賛同されるべき行為では無く、その一つの目的のために、全てを捨て得る覚悟で、犠牲にしても取り組む姿に、私は戦争本来の恐ろしさを感じた。普通、平和であるならば必要の無い行為だからだ。それを、「お国の為に」と行っているのだ。まだ年端もゆかぬ、うら若き学生らを含めて。
恐ろしさの他ないであろう、これは。
私は、恐らくもう一度この映画を観る。
そうして、失われたものの尊さ、壊すことの容易さ、手に入れる事の難しさ、その為に争い合うことの無価値さを、改めて感じるだろう。
面白かった。
もしかしたらそれは、この映画に登場する人物達でも、映像に対してでもないのかもしれない。
「ただ生きる」それが如何に苦しく困難なものであるか、そこに辿り着くまでの自らの感情の揺れ動きに対してなのかもしれない。
日本、それは唯一の被爆国であり。
日本、それは愚かな過ちを犯した、一つの小さな島国である。
これらの戦争映画により、若者達をはじめ、日本の人々の興味関心が、より一層強まることを願う。