卵子ドナーの私から、卵子提供によって生まれた人へ
■私は2017年と2021年の合計2回、卵子提供のドナーになりました。
■現在、大学院生です。
■卵子提供ドナーは日本で数百人くらいしかいない(らしい)ので、珍しい経験だと思います。
■なぜドナーになったのか、どのような経験だったか、卵子提供で生まれてくる人に伝えたいことを忘備録的にnoteにしてみようと思いました。
■不妊治療をしている/予定している夫婦や、興味を持っている人に読んでもらえたらいいなと思います。
■あくまで個人の意見です。
前回と前々回に続いて、今回は卵子提供をした私から卵子提供によって生まれた人へ向けた記事です。
卵子提供に関するnoteはこれで終わりです。
私は自分の卵子提供で生まれた人が将来この記事を目にしているのをイメージしてこの記事を書きます。私個人の意見です。
あなたが卵子提供によって生まれた人だとすると、もしかすると、養子として育てられた人と同様に、生物学的な母親やその家系について興味をお持ちかもしれません。
自分と顔が似ているのかとか、どんな性格かとか、そういうのが気になっているかもしれません。一度会ってみたいとか。
あるいは、全然どうでもいいと思っているかも(笑)
ただ、例えばある程度成長した後に卵子提供について知ったりなどして、衝撃を受けたり、怒りや困惑を抱えていたら、このnoteを読んでみてもらえると嬉しいです。
もともとこの一連のnoteを書くきっかけになったのは、精子提供によって生まれたある女性の記事を読んだことでした。
2021年の今、「自分の遺伝的出自を知る権利」が注目されているようです。
本当に個人的な感覚としては、いつか自分の卵子提供で生まれてきた人(生物学的な息子や娘に当たる人)が訪ねてきても嫌どころかいい友人になれるような気がします。
でも色んな事情でそうもいかないドナーも多いのではないでしょうか。
このあたりの法律の枠組みはまだまだ未整備な感じがします。
正直、私は卵子提供したときに「この卵子提供で生まれてくる子がどう思うのか」まで考えていませんでした。だから考えてみました。
前述の記事で特に気になったのは、
①自分が自然な方法以外で生まれてきてしまったと感じたという部分
②親がそれを後ろめたそうにしていたという部分
①に関しては、個人の意見として、気にすることは全くないと考えています。
なぜなら、人間の文明というのは、自然だったら死んでしまうような特徴をもつ個体や、身体的に弱い個体を徹底的に助けたり守ったりすることで発達して生き残ってきたからです。
つまり”みんな不自然に守られて生きている”ので、不自然な方法は劣り、自然な方法が優れていると考えるのは自分を支えている先人の努力(自然ではないもの)を忘れているのではないかと思います。
だから卵子提供や体外受精によって生まれるのと、交通事故に遭ったり病気になって病院で直してもらうのとでは生まれる前に助けてもらうか、生まれてから助けてもらうかの違いでしかないと私は思います。
そして私を含め、誰かに助けてもらわないと生きられません。だから他の人が何と言おうと、どうでもいいことです。
②については、価値観は人それぞれなので私には何とも言えません。
でも後ろめたいことではないと思います。
ところで、不妊治療って経済的にも体力的にも精神的にもすごく大変であるようです。
それでも子どもに会いたくて頑張ったご両親は素晴らしいと思います。
たまたま、あるステップを踏まなかった人に対して「〇〇していないから母親失格」とかいう人も世の中にはいますが(例:自然分娩、母乳など)全部しょうもないと思っています(笑)
私は主に液体ミルクで育ったらしいのですが、超元気ですし大人になってから「母乳で育ちたかった・・・」とか思ったことは一度もありません。
生まれてから注いでもらった愛情(例:言葉のやりとり、スキンシップなど)のほうが大きくなってからも何度も思い出します。
卵子提供をしたり、不妊治療のクリニックでインターンをしたりして感じたのは「不妊治療で生まれてくる赤ちゃんというのは、卵子と精子だった時代から大勢の人が必死になって生まれてきてもらおうとして生まれてくる」ということでした。
細胞だった時代から、短い時間も寒い思いをさせないように暖かい場所で処置をしたり、絶対にシャーレを落とさないように慎重に手に包まれて運ばれたりしていた記憶とかないと思うのですが、そうされていたはずです。
そして私もドナーとして体内で卵子を成熟させる間、24時間一緒にご飯を食べたりお風呂に入ったり、ぬくぬくのお布団で寝たりしました。
この卵子がどんな人になるのかなーとか思いました。
私が歩んできた人生みたいにいい友達との出会いが沢山あるといいな~と思ったりとか。
卵子提供で、卵子はご夫婦へのギフト(寄付)であり、何の権利もドナーには与えられません。
だから会えないのですが、おなかに入れている間も、私の身体を離れてからも、ふと思い出して幸運を祈る瞬間があります。
ご両親はあなたに生まれてきてほしくて、あなたが生まれてこれるように色々な人の手を借りたと思います。
そして、私もあなたが生まれてきてほしいと思いました。
私はひとりでも多くの人に生まれてきてほしくて、その人が生まれてこなければ聞くことのできないその人の意見を聞きたくて卵子ドナーになりました。
ただのドナーなので、実は私の卵子であなたが生まれているかどうかも私は知ることができないのですが、それでもやっぱり生まれてほしいと思っているのが正直な気持ちです。
生まれてきてくれているなら、本当に嬉しいです。
このnoteで書きたかったことは以上です。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
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