将来何がしたいの?の質問について

私は小さい頃から「将来の夢は?」「将来何がしたい?」と聞かれる事が苦痛だった。

興味のある事も夢として描きたいもの何個もある。1つに絞る事なんてできない。色々な事に興味があり、やりたい!と思ったら実際にさせてくれていた親には本当に感謝している。ただ、ある程度できたらその先へ進む事が私は出来ない。出来ないというよりは、「勝負事においての勝敗」等、勝ち負け等の誰かと競う事が目的になったしまった時点で、興味がなくなってしまうのだ。

小さい頃、ピアノ(エレクトーン)、公文、水泳の習い事をさせてもらっていた。すべて「やりたい!」という興味本位で始めた事であったが、3年も続けているとどうしても飽きてくるのである。3年も続けていれば、ある程度ピアノを弾く事は出来るし、公文も自分の学年+3歳の教材もできるようになっていたし、水泳も4種目すべて泳げるようになっていた。

飽きが始まったのはちょうどこの頃からだったと思う。
水泳→大会に出て良いタイムを目指す事
公文→もっと先の教材へ進み、学校の勉強でも先に進めるようになる事
ピアノ→コンテスト等に参加するようになり、結果を求められる事

自分にとっての結果ではなく、自分以外の誰かから与えられる『結果』が
習い事を続ける目的となった時。
私の興味は一切なくなってしまうのかもしれない。

私は探求心が以上に強い。
その探求心故に、いつまでたっても満足する事が出来ず「もっともっと」と
満足できない向上心を発生してしまった。

この探求心は、基本自分の内面に対してしか向かないのだが、仕事となると以上に向いてしまうのである。

どのような流れで売り上げが立ち、利益が出、自分の仕事はどのように会社にとって役に立っているのか。
全てを納得したい!という怖いまでの探求心に近い興味がある。

だから、部長や課長など自分よりも上の役職に質問を投げてみるが、結果的に私はめんどくさいやつ扱いを受けるのである。

ある程度要領もいい方なので、向上心もあり仕事が出来るという評価をもらいがちのため、たまにマネジメント等のポジションを提示される事もある。

ただ、私は自分の探求心にしか興味がないタイプなため、好きな後輩や先輩以外は興味が持てないのである。なのでマネジメントには向いていないと自分で自覚している。

強い探求心から、答えが見つかるまで納得できない事をほったらかしにしたまま前に進む事が出来ない。そこで議論が発生しチームワークを乱してしまうのである。

(......ここまで色々書いてきて思うのは、こんなに「組織」に属する事に向いてないのかと落胆してしまう。笑)

自分が仕事や生活をしていく上で、結構重要な事は、「自分の興味関心で疑問に思った事を探求していく」事なのかもしれない。

そして、ある1つの仮定が生まれたら実行し、検証してまた仮定をしとその流れが好きなのかもしれない。

そこの目的は「間違っててもいい。今の自分に最適な答えを出したい」という所なのかもしれないな....。

だからこそ、将来どうしたい?や何がしたい?の質問が苦痛なのである。

自分の中で検証したい事柄がたくさんある。それが仕事になるのかもわからない。だから1個になんて絞れない。私は欲張りだから。

それが今の所の答えなのかもしれないな....

最初の会社に入った時、総務的な所での全ポジションでのアシスタント的な役割を担っていたため、色々と仕事を行っていた。その色々やる事は非常に楽しかったのだが、「今なんの仕事をしているの?」「今、〇〇で何してるの?」と聞かれるのが苦痛でもあった。

苦痛の理由としては「私はこれをしています!」という所の「これ」の確固たるものがなかったからである。他の人は労務や経理で、確固たる名前がある業務をしているのに、私は何しているんだろうと落ち込むようになった。

この社会で生きていく上で。目指すものを1つに絞り、そこのスペシャリストとして走っていく事が理想の会社員なのかもしれない。

過去「何者か」にならなければいけないと強く思っていたけれど、「何者」と言われるほど一貫性を貫ける忍耐力は私にはない。

だから、自分の人生をかけて「器用貧乏」の在り方を証明しようと思いました。

「何をしたい」「何になりたい」ではなく

「自分がどうありたいか」そこを検証し突き詰めていこうかな。

そんな事を思ったクリスマスイブです!

皆様素敵なクリスマスイブを~


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?