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12.17 thu 今日の私は一括現金払いした人だった

 初雪。すんでのところで車をタイヤを冬用に交換した。分割でのほほんと払うつもりが、クレジットカードへの無知ゆえに払えず。「ふぇぇ」半泣きで現金一括、そこそこの額を払うことになった。
 払う額は同じ、というかむしろ安く済んだのに、初ボーナスをそれに注ぎ込んだことに結構しっかり落ち込んで、その後1時間くらい、ぼーっとアテもなく車で走り回っていた。

 現金を眺めるのが好きだ。いやしいことこの上ないが、お札が手元にあると本当に安心する。このご時世でもボーナスをもらえたことに感動して、現金手渡しだったから尚更だ。毎晩お札を取り出しては鑑賞していた。
 タイヤの交換費用とボーナス、きっかり同じだったので、なんだか建て替えてもらっていたお金を払ったみたいな気分だ。悲しい。

 さておき。
 大学進学(金沢美大に通っていました)で金沢に出てきて、卒業後も住み続けている。純粋にいい街だな、と気に入っているし、金沢=美大の図式を作りたくなかったというのもある。
 「接したことのないタイプの人だ」という感覚。世の中のほとんどの人に対してそういう感覚を持っていた気がする。狭い集団で生きてきたので、20代になってもその外側へのおそれは確固たるものとして自分の中にあった。
 だから、外側だと思っていたところの懐が案外広いことに気付いたときはすごく嬉しかった。無理に共感を生むでもなく、全く違うものを受け止め合えることを信頼と呼びたくなる。
 美大の子は面白いよねえと言われるのが嬉しくないわけではないけど、その肩書きと関係なしに人と何か分かち合えたときはたまらなく幸せだ。そういう嬉しさを改めて感じて、最近この気持ちを忘れてたなと気付いた。

「ヒロシが本出してるの知ってる?」上司との会話だ。
「ヒロシって、あの」
「ヒロシですのヒロシ。面白かった」
「どんな感じなんですか」
「一人でも生きていける気分になるよ」
「一人なんですか…」
「おれは孤独だ、ヒロシも孤独なんだよ…」
 日々の端々で、みんな孤独そうだなと思う。仕事があっても家庭があっても孤独。そうよねー、と思って、だからこそ救われる瞬間がたまにある気がした。何者でもない人間同士がちゃんと心をやりとりできたって、そういう実感を持てたときに希望を感じる。

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