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4.30 sun 奇跡すべてに恋をしているとして

 人は巡り会い、うっすらとした矢印を持ち、お互いを自分の世界に少し招きあったりして生きている。出会いというのは種だ。それが芽になったりならなかったり、花が咲いたり。咲いた花もさまざまで、一年ごとに花を作るものや枯れて戻らないものや、なぜかずっとそこに咲き続けるものもある。不思議だし、ただそれだけなのだ。
 出会いに感謝し始めればキリがない。それくらいたくさんの奇跡に恵まれてきたと思うし、今だってその最中だ。それらの奇跡は永遠ではなく、だからこそ奇跡めいていたのか。いや、奇跡を感じること自体が自身の中では永遠化できるわけで…うーん。自分の使う奇跡や永遠という漠然としたモチーフにも、もうちょっと後ろ盾が必要だな。

 永遠であるものなどなかなかない。代謝していかないものなどきっと名前くらいだ。もしくはずっと思い出せる光景。思い出せるセリフ。死ぬまで(簡単には言えないが)この身の中にあるであろうものを永遠と呼ぶことはできる。と思う。永遠を得る度に私の従来の世界はぶち壊され、代謝していく。果たしてそれは永遠って呼べるのかよって感じですけど、なんかそういうニュアンスで捉えてるんですよねえ。
 思い出せるということは、信じているということだと思う。ポジティブであろうとネガティブであろうと、そこに強く信じようと惹かれる気持ちがなければ覚えてはいまい、と、バカでかいスケールの頭になれば思う。
 たしかに惹かれたものが数多くあるということ。それは果てしないきらめきであり、心の中でごうごうと燃える点である。点は新たな点を見つける手がかりとなり、星座になればラッキー。そう、ラッキーなのだ。奇跡を集め観測するのが私の趣味であり、キモい趣味だがやめないぜと思う。

見渡せばすぐに白髪が生えているその草原に爪を立ており

手を取れば果てなく続く道すがらジンベエザメの回遊を見よ

降りしきるあられが雨に変わるとき恋の熱少し下がる三月

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