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12.23 wed 久しぶりに高いところに行った

 意味もなく山道を走ることがある。車でだ。大体はどこかからの帰り道、車内にかけている音楽に気分が入ってきたときで、もうちょっと歌いたいな、と思いながら寄り道をする。
 山の入り口は結構墓地になっているところが多くて、今日もそうだった。住宅街に面した大通りを突っ切ると、すぐにお墓に囲まれる。何度やってもわりとしっかり怖い。幽霊的なものじゃなくて、危ない人に出くわさないか不安になる。
 しばらく経つとお墓もまばらになってきて、さっきより高台まで来たんだなと分かる。林の中にある墓地じゃなくて断崖にある墓地というか。道を取り囲む木々の層が薄くなって、街の明かりがすーと細く、小さく見えるのだ。「きれーい」少し車を停めて、助手席越しに眺めて満足する。もう少し進むと空がいきなり広くなって、さらに満足する。鉄塔のふもとでまた停車して、近いなあ、漠然と思った。

 大きいものが好きだ。工場の煙突(なのか?)とか、動物とか。近寄って、でかい、と実感するのが好き。広い場所もそうで、空が広いとか、平野だな、とか、あと静かだな、とか、自分にとっての非現実感なんだろうか。映画を大スクリーンで見るような嬉しさがある。

 感染症が流行り始めたとき、友達と新潟・長野まで出かけた。誰もいない妙高山の奥まで進んで、滝のふもとで「自然はでけえ」とありがたく思った。それで何が解決するわけでもないが、私たちがあたふたしている間も山はただあるし、川は流れていると思うと、なんだか落ち着いたのだ。
 そのすぐ後、母親と電話すると、似たようなことを言っていた。実家の近くの川まで散歩に出かけたとか。「あたしらがこうしてる間も川は流れてるんやなって…」あまりにも同じことを言うのが嬉しかった。

 誰もいない場所で広い空を見て安心して、また市街地に帰ってきて安心した。どっちもあってくれてサンキュー、と思って、何かをリセットできた気持ちになる。

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