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3.6 sut 豆乳をもらいそこねて後悔している

 「豆乳、いる?」上司に1リットルパックの無調整豆乳を差し出された。心地いい受け取り方が見つけられずに、あうあうと首を縦にも横にも振らずに曲げる。
 「いらないか」「はい…」豆乳がすごすごと引き下がる。ほしかった。ほしかったけど日頃の申し訳ない気持ちが山積みで、「きゃーっありがとうございます」と嬉しそうな顔がどう足掻いてもできない。いつだったか同じように豆乳を差し出された時は嬌声をあげて受け取れたのに、と思って、こっそり泣いた。

 そんな毎日である。優しさを素直に受け取れないときは一体何が邪魔しているんだろう。加害者意識や卑屈さ、どんな顔をすればいいか分からないなあという困惑。ひょっとしてそれは総じてプライドなのかもしれない、と思うとヘコむ。

 自己開示が下手だ。最近猛烈に思う。
 地元を出るまでは本当にひどく、人とそのへんに放り出されると「何喋ったらいいんだろう」と考えた挙句、喋らないという選択肢を取るような小娘だった。大学に入って普通に人とワヤワヤ喋れるようになったから忘れていたけど、やはり私は根本的に開示から逃げている。開示というより、人に何かを求めたり受け取ることから。
 人と向き合えない。そんなことで悩んで、なーんだ10年間変わってなかったんじゃんとまたヘコんだ。いい加減ヘコんでいる場合ではない。

「てか俺、賞味期限切れた豆乳普通に飲むしね」上司が言っていた。豆乳をちゃんともらえた時、その少し後のことだ。
「なんでくれたんですか!?」「この子は豆乳もらったら多分喜ぶって思って…」「喜びましたね…」
 豆乳、ほんともらえばよかったな。うっかり「きゃー」と嬉しい声でも出せたら彼も喜べたんだろうか。「ごはん持ってきたのー?」と言う女将さんに「今日なんも持ってきてないっす」と言えたら、嬉しそうにうどんを出してくれたんだろうか。もらうのが苦しい、そんな暗い顔をし続けているのがとても恥ずかしくて、さらに苦しい。アホである。

 色々耐えられなくて、友人に電話をかけた。ごはんに行きましょうと言ったら、二つ返事で行きたいと言ってくれた。何の用事もなく食事に出かけるなんて本当に久しぶりだ。王将で二人とも暗い話をして楽しかった。
 「ほんと声かけてくれてありがとう」帰り際に言われて、きょとんとしてしまった。ありがとうか。私が会いたかっただけなんだけどな。こういうとき、自分が人から見えて動いて喋ってることに気づく。彼女の前に私はいて、一緒に餃子を食べていたのだ。私が呼び出して食べた餃子。彼女の餃子もうまかっただろうか。不思議で、ちょっと救われるなと思った。

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