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導入と全然違う話じゃないですか

 「○○だったら良いお母さんになれるよ」という声が聞こえてきた。「えーそうかなー」と、言われた方は多少照れているようで不快には見えない。
 このような会話を聞いた時に私は「うわー、『良いお母さんである方が良い』ってコンプレックスを押し付けられてるー、価値観の押し付けやだなーつらいなー。そもそも『良いお母さん』ってなんだよ。」などと考えてしまう。
 このような私の反射的な考えが「ひねくれている」と世間では評されがちだということは分かっている。というか、世間では「ひねくれている」と評されるだろうなーと私は思っている。(「世間とは何ぞや」ということも色々と考えないといけないのだろうが。)
 コンプレックスの押し付けを回避する適切なコミュニケーションについての展開、私のアダルトチルドレン的な話への展開、コミュニケーションにおいてコンプレックスの押し付けは回避できないという展開、「ひねくれている」ということについて私の認知が歪んでいるのか、社会の多数派が思慮が浅いだけなのか、そもそも認知の歪みと言うものが「多数派が正しい」という考えに依拠しすぎた考え方なのか。など、展開を編集する能力に乏しいのも私が文章を書くことを苦手にしている一因なのだろう。

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