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ウンコするように文を書こう

Nintendo Switchが発売されてからというもの、「いつでも、どこでも、だれとでも」というキャッチフレーズまさしくおよそ携帯機と思えないようなクオリティのゲームが遊べるようになり、とても良い世界だなあと思ったのですが、ふと立ち寄った図書館のトイレの個室の中からスマブラのリンクの声で『エアアァァァッ』と聞こえてきました。お前それはさすがに崖っぷちにも程が。


アモーレ。
CHANGです。


世の中のありとあらゆるものは文にすることで後世に残すことができます。それによって文化や知見が何千年にも渡り継承されてきたのですが、まさにこの【伝達】という手段そのものが人間らしさ、世代を超えて進化を続ける種族の所以であるのではないか、とトイレにこもりながら思いました。

突然現れたポケカ大ブームと、それに伴って求められる大量の知見。それらが合わさってできたポケカライティングブームは2018年後期から一気に訪れたものでした。そして2019年に突入した今日、それらが定量的に評価されるレベルにまで昇華。今までなかった文化に戸惑いも起きています。これはひとつの成長痛と言えるでしょう。みんなで乗り越えるべきひとつの壁です。

反して、以下のような意見も散見されるようになりました。

「僕のような人が記事なんて書いても」

今日はそんな意見について書こうと思います。

個室で。


■文を書くとはアウトプットである

当たり前ですが、文字を書くということは自分の中に何かしらのネタがあるということになります。
それは例えばデッキのレシピであったり、動かし方であったり、結果を残した経緯であったり。

それらがあるからこそ何かを書こうと思うのです。

ことポケカに関して言えば、普段からポケカをしていればそのネタには困らないはずですよね。それらを「残す」ことで、文を書くということは成立するのです。
この「残す」というのがとても大事で、文というのは人のためという観点も勿論あるのですが、自分のためでもあるいうことを忘れてはいけません。

何年何月にこういったデッキを使っていた、なぜならこういう時期でこう思っていたからだ、そんな自分を形成する自分の考えを、普遍的なものにしたためるのはのちの自分にとって非常に素晴らしいことなのです。
ですから、日々のインプットをしている以上誰でもアウトプットができる、する権利がある。
これを思い出してください。

■インプットしたらアウトプットしよう

先述の通り、アウトプットとはインプットをしないと出来ません。そして、おそらくあなたは生きている以上毎日何かしらのインプットをしています。

そのインプットは確かにあなたの人格や身体、また周りに対しても影響を与えており、人生をポジネガ問わず豊かにしていることでしょう。それは食事にも似ている行為です。

入れたら出す。

入れたら出す。

栄養を入れたら、


■誰でも出せる、それが

さすがに察していると思うのであえてもう伏せますが、そういうことです。

日々何かを摂取している以上、それをアウトプットすることは誰にでもできて、そしてその発信というのは唯一無二です。
それがあなただけの特別なウンじゃなかったアウトプットです。

これは慰めでもなんでもなくて、言ってしまえば同じネタでも見せ方次第でまったく違う記事になりますし、そこにあなたの個性があればそれが好きな人がきっとファンになります。

その上、今はまだライターという文化は始まったばかりで文章力なんて概念は存在しません。
はっきり言います。文章力なんて概念は存在しません。
みんな同じ。たまたま求められている情報を持っている人が求められているだけです。

ここに違いがあるとするならば、「行動に移しているかいないか」ただそれだけです。
求められている情報を鮮度のあるうちに文にしたためて世に放っている。それはもちろん評価に値しますし、素晴らしいことだと思います。

だけど、それだけなのです。

書いている人と書いていない人には、それだけの違いしかないのです。

■やろうと思えば毎日できる

我々は生き物ですから、摂取と排泄のように、インプットがあればアウトプットはできます。

そのアウトプットの価値が誰にあるかは書いていくうちに考えればいいのであって、例えば最初は自分のために書いていくのはいかがでしょうか。

そうしていくうちにきっと自分の頭も整理されていき、視野が広がり、もっと書きたいことが出来てくるかもしれません。

周りの記事を見て良い意味で影響を受けるかもしれませんし、書くのは自分の性に合わないなと気づくときもあるかもしれません。時には「文を書くのが飽きた。なぜなら」という記事すら書くことができるのです。


つまり、どこの誰が書いてもコンテンツというのは価値があるのです。

■最後に

「記事」なんて言葉があるから仰々しいのかもしれませんね。

もはや雑記、いやさ日記でもいい
求められているかどうかなんて気にせず、自分のために文を書いてみてください。

世の中にはポケカ人の書いた文ならなんでも読みたくて読みたくて仕方がないお爺さん(ポケカ的な)がたくさんいます。

全部が高級料理じゃ飽きるでしょうよ。

優勝レシピじゃなくてもいい、等身大のあなたの記事がそこらじゅうに溢れる世界を、僕は望んでいます。

じゃあな!

楽しいウンコライフを!

(公園の多目的トイレの鍵が壊れてドアノブをフルパワーで引っ張りながら)

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