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【連載版】Change the World 第2話〜他人という鏡【無料】

人生において、あなたは今どのような状況に置かれているでしょう。あなたは幸せな状況に置かれていると感じているでしょうか。それとも不幸な状況に置かれていると感じているでしょうか。もしその「自分の状況」あるいは「私の現実」と認識しているものが、あなたの勘違いによって「おかしな現実」を見せられているとしたらどうでしょう。

あなたが普段「自分の状況」と認識しているものは、実際には「自分の周囲の状況」、つまりは「自分以外の状況」です。ルビンの壺という有名な絵を、あなたも一度は目にしたことがあると思います。ルビンの壺は、白い背景に壷とされているものが描かれていますが、着色部分に焦点を合わせると壺を認識し、背景に焦点を合わせると向かい合った人の顔に見えるという一種のだまし絵です。対象物と背景のどちらに着目するかで、全く違った意味を持つ絵となるわけですが、これをあなたの現実に置き換えて考えてみましょう。

あなたが写った写真を一枚用意してください。どのような状況下で撮られた写真かは問いません。その写真には、「自分以外」を背景にして、「自分」が写っているでしょう。では、自分と自分以外の境界線をペンでなぞってみましょう。その境界線はちょうどあなたという人物に沿って、人型に描かれるはずです。

ここでルビンの壺と同じことが起こっています。自分に焦点を当てれば、あなたは肉体を持った人間です。一方、自分の状況はどうでしょうか。写真の中のあなたはどのような状況下にあるでしょう。自然の中でしょうか、パーティーの最中でしょうか、乗り物の中でしょうか。そうした状況は自分以外のものによって彩られた背景によって判断することになります。あなたがどのような状況に置かれているかは、自分以外のものによって説明することができるということになります。

自分に焦点を当てれば「私」という人間を認識し、背景に焦点を当てれば私の「状況」を認識するというわけです。ルビンの壺と同じように、どこに焦点を当てるかによって認識するものが変化します。試しに、その写真を先ほど引いた境界線に沿って切り抜いてみます。そうすると二つのパーツに分かれるでしょう。あなたという人型と、一部が人型に切り抜かれた背景です。

では、あなたという人型の切り抜きを白紙の上に置いてみるとしましょう。さて、あなたはどのような状況にあるでしょうか。自然の中でしょうか、パーティーの最中でしょうか、乗り物の中でしょうか。その状況を判断しようにも、背景が白紙だと何の情報もないでしょう。あなたがどのような状況に置かれているのかが途端にわからなくなります。自分の状況とは、自分以外の状況である。というのがよくわかるのではないでしょうか。自分がどのような現実を味わうかは、自分以外のものの動向によって左右されているのです。

では、背景の方に目を移してみましょう。一部が人型に切り抜かれた写真です。これは誰の、あるいは何の現実でしょうか。写真の一部に人型の切り抜きがあるので、誰かはわかりませんが人間の現実ではあるようです。しかし、その人物が誰なのかまでは特定できません。恐らく人間と思われる何らかの現実であろうというのがその写真を見た判断となります。自分と自分以外、どちらが欠けても「私の現実」は成立しないのです。自分以外という背景がなければ状況を判断できませんし、自分がいなければただの風景写真となり、誰の現実でもなくなってしまいます。

人は自分以外のものの動向や振る舞いによって、自分の現実がどのようなものであるかを認識しています。わかりやすい例を挙げれば、周囲の人があなたに対してどのような振る舞いをするかによって、自分が周囲の人からどのように思われているかを判断しようとするでしょう。或いは、周囲の人があなたをどう評価するかによって、自分が今どのようなポジションにあるかを確認したりもします。

なぜそうするのかというと、自分を客観視することが難しいからです。あなたの視点で見た世界は、あなたにしか見ることができません。逆に、あなたが他人の視点に成り代わって世界を見ることもできない以上、第三者の視点から自分がどう見えているかということを正確に知ることはできません。

ビデオカメラは人間が目を背けたくなるような現実でも、感情に左右されることなく淡々と撮影を行います。しかし、そのビデオカメラでも撮影できないものが世界に一つだけあります。それは「そのビデオカメラ自体」です。

鏡を使えば間接的に撮影することはできますが直接撮影することはできません。ビデオカメラは世界中にある全てのものを撮影することが可能ですが、唯一客観視することができないものが「そのビデオカメラ自体」ということになります。そのビデオカメラを直接撮影するためには、もう一台のカメラが必要となります。つまり第三者の視点が必要となるのです。これと同様に「自分」というのは世界で唯一、あなたが客観視することができないものです。

自分が物理的な意味でどう見えているかということもそうですし、より広範な意味で自分がどう見えているかは自分ではわかりません。「自分とは何か」というのは極めて基本的な情報ですが、それを確認することは意外なほど難しいのです。自分の主観のみで自分を評価するのは自信がないし、かといって他人の視点に成り代わって自分を客観視することもできません。

そこで「自分とは何か」を知るためには第三者の視点が必要となります。自分の出来る限り正確な評価は、「客観的に見て自分はどうですか?」と他人に委ねることになるのです。カメラの場合はもう一台のカメラを使えば問題はありませんが、人の場合にはそうはいきません。

なぜなら、他人の評価にはそれぞれの主観が入り込むからです。ビデオカメラのように淡々と文字通り機械的に客観視するわけではなく、各々がバラバラの価値観であなたを観るので評価が一定しないのです。

自分の主観のまま、第三者の視点から自分を客観的に見れればいいのですが、ビデオカメラと違って自分は残念ながら一人しかいないのでそれもできません。他人という第三者の視点を気にするのは、自分で自分を見ることができないからなのです。

そうして考えてみると「自分」というのは、「自分以外」の振る舞いを見て、自分が何であるかを推測した結果といえます。他人のリアクションによって自分はどのようなキャラクターなのか、どのような存在でどのようなポジションにあるのかを推測した結果が「自分」なのです。「自分」というのはカッチリしたものではなく、意外なほどグラグラ揺らいでいて安定していないものなのですね。

夢や願望というものは「自分以外のもの」のリアクションを、自分にとって心地よいものに変えようとすることとも言えそうです。あなたは「自分以外のもののリアクション」という鏡を通して「自分は何か」を見ているわけですが、そのリアクションがあなたにとって心地いいものであるほど鏡映りも良くなったように感じるというわけです。

人は瞬間ごとに「自分以外のもの」によって描き出される人生模様を目撃しています。あなたの周りを取り囲む「自分以外のもの」は、実に様々な振る舞いであなたの人生を彩ってくれるでしょう。その「自分以外のもの」が描く万華鏡の模様は常に美しいのですが、あなたは「思い通りの模様ではないから」という理由で美しくないと判断しています。

思い描いた通りの模様を描かない万華鏡は不良品なのでしょうか。人生模様に良し悪しはありません。万華鏡の模様と同じように「自分以外のもの」も自由気ままに瞬間ごとの模様を描いているだけです。生きるとは、人生という万華鏡を覗き込んでその瞬間だけ描かれる模様を楽しむものなのです。

あなたは、人生の万華鏡を自分の主観で見て美しいとか美しくないとかと判断しています。主観とは、現実という映像を「自分」と「自分以外」に自動的に区別して見ている視点のことです。「あの人はこういう人」というのと、「自分はこういう人」というのは主観で見ているという点において同じです。対象が置き換わっただけで、主観で見ていることには代わりありません。

自分を客観的に見るということは、自己啓発や道徳的な教えなどで耳にしたことがあるかもしれません。しかし、自分が見ている時点で既に主観なのです。よって、本当の意味で自分が自分を客観視することはできないのです。

自分で自分を客観視することはできないので、他人のリアクションから自分はどういった存在なのかを予測し、想像し、解釈し、自分というものを知ろうとします。「こう思われているんじゃないか」「こう思われているだろう」そういった推測を立てます。

撮影しているカメラ自体を撮影するには鏡を使って間接的に撮影するしかないように、自分を知りたければ他人という「鏡」を使って間接的に知るしかないのです。「他人は鏡」という表現は昔からありますが、ほとんどの人が「人の振り見て我が振り直せ」の意味に誤解しています。

自分の顔は鏡に映すという形で間接的にしか見れないのと同じように、「自分はなにか」を知るためには他人のリアクションという鏡を使って間接的に見るしかないのです。そういった意味では他人は鏡というのは正しいとも言えます。

ただし「他人のリアクション」という鏡は、各々の主観という歪みを持っているので、映る「自分像」はバラバラになります。誰の反応が正しいのか、誰の評価が正しいのか、果たしてそれは自分の真実を語っているのか、それとも的外れな憶測なのか。

他人という鏡を使って自分を見るのはいいとして、どの鏡が歪みなく自分を映しているのかは誰もおしえてくれません。あなたは、あの人の意見もこの人の意見も聞きつつ総合的に判断をします。自分の真の姿とは、そんな断片的憶測の集合体に過ぎないのです。

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