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【連載版】Change the World 第22話〜現実に関係なく幸せであっていい【無料】

人は起きている間、絶え間なく頭の中で会話を続けています。様々な考えが勝手に浮かんできますが、そのうち信じるものと信じないものの違いはどこにあるのでしょう。あったことについて語る、知っていることについて語るという点で、思考とニュースには共通点があります。

思考やニュースについて、どんなものが印象に残りやすいかを考えてみると、悪い出来事や悪いニュースの方が印象に残ることが多いです。そちらの方が良いニュースよりインパクトがあるためです。事件、事故、災害など、普段目にするニュースの大半がそのような話題によって構成されていることに気付くはずです。

言葉を変えれば、思考もニュースも不幸せな話題の方がインパクトがあり、印象に残りやすいということになります。あなたの人生において、良い瞬間がなかったわけではないでしょう。何年たっても幸せが込み上げてくるような思い出もあることと思います。しかし、それ以上に嫌な思い出の方が後々まで記憶に残りやすいのです。

印象に残るとはつまり認識されるということです。印象に残らなかったものは、その瞬間には認識されても重視されずにすぐに忘れられていきます。忘れられたら認識されていないも同然です。「認識されていない=現実ではない」という状態です。

人に対する印象はそのようになっていないでしょうか。これもまたいい印象よりも悪い印象の方が残りやすいのです。そうなると「あの人はいい人」よりも「あの人は嫌な人」という認識の方がインパクトが強くなります。嫌いな人がいる場合に、その人のいいところを見つけるようにするというのは昔から言われていることですが、その理由がわかるのではないでしょうか。

あなたの印象に残り認識されるか、あなたの印象に残らず認識されても忘れられるか。認識とは現実ですから、極端な話あなたの現実はあなたの印象に残ったか否かにかかっているということになります。印象に残らなかったものは認識としても薄く、過去という名の記憶にも残りにくいのです。「そんなことあったっけ?」というわけです。

思考はあなたの意思とは関係なくランダムに浮かびます。思考がいつも真実を語っているとは限りません。あなたにはどんな思考が印象に残るのかというと、当然ながら強い印象のものほど残ることになります。その強い印象を残すものが往々にして嫌な気分になったときに起こったこと、すなわち嫌な出来事なのです。

嫌な気分になる思考が、嫌な出来事という認識となり、嫌な現実が起こったと捉えられるのです。そして嫌な現実は嫌な思い出として記憶に刻まれていくことになります。なんとも皮肉な話です。逆に、いい気分を引き出した思考は嫌な気分になる思考ほどは印象に残りません。一日のうちで気分のいい瞬間もあったはずなのですが、それよりもインパクトの強い嫌な出来事があると記憶が上書きされてしまうのです。

インパクトのある嫌な記憶ばかりが残れば、人生が辛く感じるのも無理はありません。不幸せな人生はそんなちょっとした記憶の積み重なりで創られてしまったのです。どの思考が印象に残ったか、その都度選ばれた現実が記憶として積み重なったのがあなたの人生です。

あなたの人生は不幸せなのではありません。その時々でインパクトのある思考を認識した結果、積み重なった記憶が人生なのです。もしあなたが不幸せと感じているなら、あなたの記憶にはたまたま不幸せな認識が多いというだけです。不幸せな現実ばかり体験してきたわけではありません。結果として、不幸せな記憶が多いだけなのです。

思考が認識されると現実となりますが、思考が浮かんだ時点ではまだ認識はされていません。単に思考が浮かんだだけです。同じ場面を目撃しても、テレビ局や新聞社によって見解が分かれるように、目の前で起こった出来事に対しても複数の見解が出現することもあります。

仮に二つの見方が思考に浮かんだとして、そのどちらを選ぶかによって現実は変化します。そういう意味で認識とは選択と言えるでしょう。どの思考を選択し採用するか、それが認識です。そして、認識イコール現実でもあります。

現実として何を選択するかが第一の選択だとして、その次に出てくるのがその出来事に対する感想です。これは、見聞きしたニュースにどんな感想を持ったかということに近いです。同じニュースでも聞いた人によって感想は千差万別です。それはニュースに対するコメントを見ても明らかでしょう。そこでまた選択、すなわちは認識が起こります。そうして出来事は現実として確定していくのです。

過去という名の記憶が積み重なるにつれて、ある出来事に対する選択肢はむしろ絞られていきます。選択するまでもなく自動的に認識が行われることが多くなっていくのです。これは、いつも同じような選択を繰り返していくうちに、選択するプロセスそのものが省かれていくためです。自動的な現実の確定が行われていると言っていいでしょう。世界が薔薇色に見える人と曇天模様に見える人の差はここにあると言っていいでしょう。

偏った認識の癖とでも言うべきでしょうか。記憶の量に比例して、記憶に蓄えていく際の選択がフィルターを通さなくなるのです。吟味するまでもなく直接保存していっているようなものです。他人というものに対して良くない印象を選択してきた人は、やはり他人はこうだといった偏った選択のまま疑うことなく保存していきます。幸せに対しても、お金に対しても同様です。道理で同じような現実ばかり体験することになるはずです。

選択の偏りに気付かないままだと、選択肢が狭まるというより選択の余地がなくなります。嫌な思考を選択することが自動的になると、何を見ても嫌な現実に見えてしまうのも無理はありません。その思考の選択を疑い「そうかもしれないし、違うかもしれない」を口癖にしてもいいでしょう。あなたの選択肢の無さは僅かずつ改善していくはずです。

無数の思考が頭の中を舞います。そのうちどの思考が印象に残り認識となるか。認識されたものは現実となり、現実は過去として記憶されます。その一方で、認識に至らなかった思考や、認識された後、別の認識で上書きされた思考は現実とはなりません。

確実に言えることは、思考の全てが不幸せを語っているわけではないことです。思考は無節操で脈絡もありません。不幸せな思考しか湧いてこないはずがないのです。一見ネガティブなことしか考えていないように感じることもあるでしょう。それで「自分はネガティブな人間だ」と勘違いしてしまうこともあるでしょう。

そうではないのです。ポジティブな思考が印象に残っていないだけなのです。印象に残らないため認識も行われず、認識が行われないが故に現実とならない。ただそれだけのことです。あなたにも幸せな思考は確実に浮かんでいます。不幸せな認識に慣れ親しんでいるため見逃しているだけなのです。

何が幸せで、何が不幸せなんでしょう。非常にシンプルな答えの一つは、いい気分は幸せで、嫌な気分は不幸せです。いい気分は心地いい思考だし、嫌な気分は不快な思考です。幸せとは極論するといい気分であればそれでいいのであって、何かがあったからというのは関係がありません。

実は願望の実現と幸せは無関係なのです。幸せとはあくまでも心地いい気分であることです。その心地いい気分を味わうために願望を叶えようとするのですが、それはあくまでも手段として有効であると思っているだけです。

頑張って何かを叶えなくても、あなたは幸せであっていいのです。逆に言えば、幸せになるために頑張って何かを叶える必要はないのです。願いが叶ったからといって幸せとは限らないし、願いが叶わなかったからといって不幸せとも限りません。夢が叶うことと幸せであることは全く別のことなのですが、それをセットにして考えているのがエゴです。

夢が叶うことと幸せであることをセットにして考えるとなにが起こるでしょうか。夢が叶うまで幸せにはなれないという思考が発生します。夢が叶うまで幸せになることを許せないと言った方がいいでしょうか。つまり夢が叶うまで幸せの保留が延々と続くのです。

シンプルに考えてください。いい気分になる思考を認識し、採用し、現実とすることが幸せなのです。夢が叶ったという要素は必要ないのです。もちろん、夢が叶ったからいい気分でも構いません。ただし、いい気分になる方法は無数にあり、夢を叶えることが必須事項ではないことに気付くべきなのです。

単にいい気分。何かがあったからとかではなく、ただただいい気分。願望を実現するために費やしている情熱を、いい気分になるために少しだけでも注いでみてください。いい気分であることを優先するのです。

ということは、あなたが見ている現実と、あなたが幸せであることには関連性がないということでもあります。あなたがどんな現実を見ていようが、あなたは幸せであっていいのです。どんな状況にあっても幸せとは、ただの能天気と思うでしょうか。けれど、幸せならそれでもいいではありませんか。現実が理想の姿に見えるようになるまで幸せを保留している方が無意味でしょう。

夢を叶えたいとか、願望を実現したいというのは、理想的な映像を見たいということです。確かに、理想的な映像を見れば、いい気分になることは難しくなさそうです。しかし今、映像と幸せが無関係であることがわかりました。今見ている現実という名の映像、それがどんな映像であっても幸せを感じるか、理想的な映像を見るまで幸せを保留するか。あなたはどちらを選ぶでしょう。

そもそも、あなたが見ている現実や現状と呼ばれる映像は既に過去です。ニュースと同じで既に起こったことを言語化しているのです。現実に関係なく幸せであっていいとは、過去に関係なく幸せであっていいということと同じです。

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