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【連載版】Change the World 第4話〜自分と世界の境界線【無料】

他人に対する働きかけは外部へのアプローチとなるわけですが、相手と思っているものは鏡像です。そこに実体はありません。鏡像の世界は幻の世界です。幻の世界に身を置いて、幻に向かって奮闘する。幻は変化するかもしれないし、しないかもしれません。なぜなら、鏡像という幻を変化させる鍵は実体にあるからです。

現実を変化させたいのなら、自分が現実を変化させようとするのではなく、変化した自分を鏡像に映し出せばいいのです。リンゴを鏡に映したければリンゴを置けばいいし、ブドウを鏡に映したければブドウを置けばいいわけです。

幸せになりたい。もちろん間違いではありません。けれど、多くの人が自分の努力によって自分の世界を、自分の人生を良いものにしようと毎日頑張っているでしょう。それが違うのです。あなたが人生を良いものにするのではありません。良い人生、あるいは良い現実、ピンと来なければ良い世界でも構いません。そこにあなたを登場させます。

あなたがいる世界はクロマキー合成のようなものです。先にグリーンの背景で映像を撮っておいて、後から好きな映像を合成するあれです。あなたの背景にはなんの色も着いていないか、あるいは緑一色です。そこに「現実」という名の映像が合成されているに過ぎません。

あなたには悩みがあるのでしょう。あなたの目には「こんな世界」が展開しているように見えるのでしょう。そうでなければこのような文章を一語一句丁寧に読み進めたりはしないでしょう。

他の人の目には、この世界はどのように映っているのでしょうか。パラダイスに見える人もいるでしょうし、あなたと同じように「こんな世界」に辟易している人もいることでしょう。けれど、そんなことはどうでもいいのです。見ている当人がどう感じているかだけが大事です。

「夢を叶えるのは困難だ」とすれば、夢を叶えるのが困難な自分が世界に置かれます。「奇跡は起こらないだろう」とすれば、奇跡が起こらない自分が世界に置かれます。そんなシンプルな話です。世界があなたに影響を与えるのか、あなたが世界に影響を与えるのかです。世界に翻弄されるのか、世界を創造するのかなのです。

大袈裟なことを言っていると思うでしょう。世界を創造するなどという大それたことを自分がしているなど信じられないのが普通です。けれど、世界はあなたを映し出している鏡像なのですから、目の前に広がっている光景はあなた自身なのです。あなたがどんな自分になるかによって、鏡像は変わらざるを得なくなります。

自分とはただの殻のようなものです。自分と自分以外の境界線は卵の殻のようなものなのです。なぜなら、自分の外側は自分の内側にあり、自分の内側は自分の外側であるからです。その殻が強固なものである、自分と自分以外は明らかに異なるものであるという感覚をもたらしているのがエゴです。エゴとは「自分を認識する機能」のことをいいます。

自分を卵だと思ってください。殻があり、殻の中には黄身と白身が詰まっています。殻の外側は外の世界です。殻はちょうど内側と外側を隔てているでしょう。普段感じている「自分」というのはどこにいるのかというと、「自分」というのは内側と外側を隔てている殻なのです。この殻の部分のことを自分と認識しています。それはごく薄いあなたの輪郭です。

自分が殻だけのはずがない。卵が黄身と白身という中身を内包しているように、自分も骨格や内臓を内包しているではないかと思うでしょう。確かに物質として存在しているものは、境界線という性質を持っています。しかし「思考」「感情」「認識」といった目に見えない、物質ではないものには境界線がないのです。

自分の殻に閉じこもる。自分の殻を破るという言い回しがあります。誰が言い出したのかはわかりませんが、なかなか言い得て妙な表現です。自分は正に殻そのものなのです。

以前に例えに出した写真の話を覚えているでしょうか。自分と自分以外に境界線を引いたあの写真です。あなたは正にその境界線なのです。境界線の内側が自分、境界線の外側が自分以外なのではありません。ペンでなぞられたその境界線そのものが自分です。

もう一度、自分が写った写真を見てください。背景はなんでも構わないし、今度は境界線は引きません。その写真はあなたの目にどう映るでしょうか。あなたはわざわざ写真に境界線を引かなくても自動的に自分と自分以外を区別することでしょう。

つまり、境界線はわざわざ引く必要がないのです。それこそ自分と自分以外の関係性です。自分と自分以外に境界線は必要ないし、そもそも存在しないのです。写真の表面を撫でてみてください。自分と自分以外に境界線はあるでしょうか。

写真に写っているもののうち、自分の部分だけ盛り上がっているということはないでしょう。写真の表面はフラットです。写真に凹凸はないというのは、もちろんものの例えです。しかし、同時に自分と自分以外の関係性を正確に表してもいます。自分と自分以外はフラットであり境界線は存在しないというのが正しい見方なのです。

自分以外のものを見るときに、あなたは予め決められたイメージに沿って見ています。「あの人はいい人」とか「アイツは嫌な奴」といったイメージは誰に対しても持っているでしょう。

こうしたイメージのことを前提と呼びます。あなたが「嫌な奴」を偶然見かけたり、ふと顔を思い出したりすると、いつも同じようなリアクションが起こるでしょう。「コイツは嫌な奴だ」という前提に沿って、その前提に相応しいリアクションが毎度のように現れます。

僕らは常に新鮮な瞬間を見ているのですが、記憶という名のあなたの歴史がそれを許しません。前提に沿った先入観ありきで新しい瞬間を見ていきます。そうして新しい瞬間を見ると、前提に基づいた「今」が構築されていきます。嫌な奴というのは、いつ見かけても、いつ思い出しても嫌な奴のままです。

よほどイメージが変わる出来事がない限りその前提はなかなか変わらないでしょう。他人に対して、物に対して、お金に対して。あなたは全てを固有の前提ありきで見ているわけですが、この前提というのは当然ながら自分にも適用されています。

あなたは自分を「自分はこういう人だ」という前提で存在させています。新しい瞬間に、新しいキャラクターの自分がいてもいいはずなのですが、昨日と同じようなキャラクターとして今日もここに存在しているのではないでしょうか。逆に、もしその前提がなければ瞬間ごとに異なるキャラクターのあなたがいても一向に構わないわけです。こうした前提によって、瞬時に「そのような現実」が構築されていきます。

何かを見る度に、あなたはそれがどういうものかを定義付けます。その定義付けの際に参考にされるのが記憶です。僕らは自分でも気付かないうちに「それは何か」を判断するために記憶にアクセスします。あなたが「過去」と呼んでいるものは全て記憶なのですが、それは思い出であると同時に、「今」を判断する参考資料としても使われています。現実とは、見ている映像を比較的新しい記憶で総合的に解釈した結果といえるでしょう。

よって、今ここにあるものは、映像と記憶が複合されたものです。現状を認識する際には自動的に記憶へのアクセスが行われ、原因、現状、対策といったことが、半ば自動的に判断されています。

そのようにして、リアルタイムの映像に過去の記憶を重ねてしまうと、映像の「意味」がねじ曲げられてしまいます。では、映像と記憶を分けることはできるでしょうか。簡単に言えば、目にしている映像に、記憶を基にしたナレーションを重ねないようにすることはどうすれば可能でしょう。

それには、記憶の分断を行えばいいのです。記憶の分断と言っても、アルバムをめくるように想い出を振り返ることはいつでもして構いません。素敵な思い出まで忘れてしまえということではなく、余計な記憶を思い出す頻度を下げるということです。

いま見ている映像の解釈は、過去の経験に基づいています。余計な記憶というのは、経験を根拠にして「間違いない」と思い込んでいる先入観のことです。先入観を関連付けずに映像を見るには、自動的に起こる解釈に対して「それはもう関係がない」「そのときと今は違う」と言い切ることです。

誰かの世界を覗き見ることができないように、あなたが見ている世界を誰かに覗かれることはありません。あなたが世界を見ているその視点は、あなただけのものです。世界の総人口の分だけ視点が存在し、その視点の分だけ世界が存在します。世界は一つだけ存在しているのではなく、無数の世界が同時に存在しているのです。

あなたはあなたの世界から出ることはできませんし、その人はその人の世界から出ることはできません。あなたはその人の世界に踏み込むことはできないし、その人はあなたの世界に踏み込むことはできません。あなたは人を相手にしているというより、世界を相手にしているといえるのです。

他人の世界に足を踏み入れようとする努力は止めることです。あなたにはあなたの世界があり、その人にはその人の世界があります。あなたはその人の世界に入れないのですから、その世界を正そうにも正しようがないのです。

全ての人が独自の世界を作り上げているのですから、あなたはあなたの世界だけで通用するルールを作って独自の世界を構築して構いません。無数の世界が交錯するカオスな場所が、あなたが生きているこの世界なのです。

あなたの世界が誰かに侵略されることはありませんから、あなたの世界は不可侵です。よって、あなたは誰にも邪魔などされません。「あの人に人生を邪魔された」というのは、あなたの思い違いです。誰もあなたの世界に入り込めない以上、あなたの邪魔をすることはできません。あなたがそう決めれば、誰にも止めることはできないのです。

究極的に言えば、あなたの世界にはあなたしかいないのです。一見すると無数の人々が行き交っているように見えるでしょう。けれど、人々があなたの世界にいるわけではありません。無数の世界がレイヤーのように折り重なっているのです。

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