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【連載版】Change the World 第3話〜世界の実体はどこにあるんだろう?【無料】

人は「自分」を知るために「自分以外」という鏡を使います。他人から返ってくる反応は、鏡に例えれば反射です。この反射が「自分」という像を結んでいます。人となりについて語るときに、人物像や自分像という言葉を使うでしょう。まさに「自分」とは「自分以外のもの」によって映し出された像なのです。

朝、鏡を見てやけにハンサムに見えたり可愛らしく見えることはないでしょうか。逆にやけにイマイチに映ることもあるでしょう。整形やアクシデントでもない限り、昨日と今日で顔が大幅に違うということは考えにくいわけですから、結局は主観がそう感じているだけなのですが、不思議なもので当の本人にはそれが現実に見えています。

他人の評価、つまり他人の目に自分がどう映っているかは「自分は何か」を知るための手掛かりとなります。そして、それをなるべく良く映るようにするにはどうすればいいだろうと多くの人が苦心します。

他人によく思われたいという気持ちは誰にでもありますが、これは単に承認欲求を満たすためではありません。他人という鏡を見たときに、自分がイケメンや美人に見えるように鏡を磨いておきたいからなのです。

間接的かつ各々の主観が入り込む以上、他人の評価は安定しないのですが、自分を映す鏡の役割を果たしているので無視するわけにもいきません。では、他人からの評価が上がるとどうなるでしょうか?他人の評価は自分を映す鏡ですから、自分が見映えして見えるようになるのです。大半の人は褒められることが好きでしょう。それは、褒められるという素敵な反射によって自分が良く見えるからなのです。

人は自分は何者か、どんな存在で、どんなポジションにあるのか。それらを他人からの反射で把握しています。愛情をかけられると安心するのは、それが最も高い評価だからです。あなたが誰かに愛されているとき「愛されている私」が存在します。これは言うまでもなく高評価です。逆に失恋したときは「愛されなかった私」が存在することになります。途端に自分の評価はがた落ちとなるでしょう。失恋で落ち込むのは、自分の評価が落ちてしまったと感じるからなのです。

そのように、人は他人によって自分の存在を把握しています。他人の行動や言動、表情や振る舞いといった反射によって「自分は何か」を見ています。しかし、最終的には自分が感じることが最も大切なのです。

相手がどう思っているか、つまりは他人からどんな反射が返っているのかが問題なのではありません。その鏡に反射された自分の姿を、自分がどう思っているかなのです。鏡を見て「今日はイケてる」と感じるのも「今日はイマイチ」と感じるのもあなた次第です。

あなた自身がどんな像を見たいかなのです。ここは鏡の世界です。自分が決めた自分像が映っています。自分が決めた「自分」というキャラクターが現実に反映されていると言った方がいいでしょうか。自分とはあくまでも鏡に映った像に過ぎないのです。

鏡の前にリンゴを置けば映るのはリンゴです。それ以外ありません。リンゴを置いたのにブドウが映ることはないのです。人はAがいいのにBのままだと嘆きます。AとBにはあなたの理想と現実を入れるといいでしょう。

幸せになりたいのに不幸なままだ、お金持ちになりたいのに貧乏なままだ、愛されたいのに好かれないままだ、といった具合です。これでは「リンゴだけどブドウとして鏡に映りたい」と言っているようなものです。そんなことはできません。自分は貧乏であるのに、鏡に映った自分はお金持ちということはあり得ないのです。

仮にあなたがリンゴだとしましょう。イメージしにくいかもしれませんが例え話なので許してください。リンゴであるあなたが鏡を見ます。そこには何が映るでしょう?リンゴです。どこからどう見てもリンゴはリンゴです。ところがあなたはブドウとして映りたいと主張します。そんなことが可能でしょうか?

それはできません。どれだけブドウになりたいと願ったところでリンゴはリンゴのままです。強いて言えばブドウになりたいリンゴが映っていると言うべきでしょうか。いま鏡にリンゴが映っていて、それをブドウに変えたければ、リンゴをブドウに置き変えればいいのです。それぐらい単純な話なのです。

そして、それ以外に方法はありません。リンゴはリンゴで、ブドウはブドウです。お金持ちはお金持ちで、貧乏は貧乏です。決して違うものが映ることはありません。この世界は、これ以上ない正確さで「どんな自分であるか」を映し出しています。リンゴかブドウか、ただそれだけの違いです。

この世界は厳しい場所でも、苦しい場所でも、意地悪な場所でもありません。単にどんな自分としてここに在るかを正確に反映しているに過ぎないのです。あなたの目の前に広がっているのはなんでしょう?それは現実ではありません。自分以外が織り成す世界でもありません。

あなたの目の前に広がっているのは、自分を鏡に映した結果です。あなたは自分以外のもの、つまりは世界を見ているのではなく、自分自身の鏡像を見ているのです。

鏡に映るリンゴをブドウに変えるとすればどうすればいいでしょう。鏡に映っているのは鏡像であることはわかるでしょう。鏡にアプローチしたところでそこに実体はありません。鏡像の元となっている実体の方を変化させなければ鏡像は変わらないのです。けれど、僕らはその間違いを延々と繰り返しています。

仮に自分を実体。世界を鏡像としましょう。実際、この世界はそのような仕組みになっています。僕らは外の世界を見て、それを自分好みに変化させようとします。より日常生活に近い表現をするならば、自分以外の方を変化させようとするのです。

他人に関心をもってもらおうとしたり、他人に自分を称賛するように仕向けようとします。しかし、これは鏡像の方を変化させようとしていることになるので不可能なことなのです。

鏡像を変化させるには実体の方、つまりは自分の方を変化させれば良いのです。自分以外というのは、自分を正確に反映する鏡なのですから、自分が変化すれば当然鏡像の側も変化します。鏡像の側が変化するということは、あなたの世界が変化するということです。

もっと言えば、あなたが変わったのに世界の側が変わらないということはあり得ないことになります。リンゴをブドウに取り替えたのに、鏡には依然としてリンゴが映っているということがあり得ないのと同じです。もし人に愛されないと嘆いているのなら、愛される自分と取り換えればいいという単純な話なのですが、ここで素朴な疑問が生じます。「どうやって?」です。

無責任に聞こえるかもしれませんが、取り換える方法はありません。強いて言えば、リンゴをどこかにやって、代わりにブドウを置くという単純な作業です。リンゴがあります。これは実体であり触れることができます。そのリンゴの前に鏡を置くと、当然鏡にはそのリンゴが映ります。これは鏡像としてのリンゴです。鏡像であるので触れることはできません。そのリンゴに触れようとすれば指先が鏡にコツンと触れることになるでしょう。実体としてのリンゴと鏡像としてのリンゴ。二つのリンゴが存在することになります。

これをあなたが見ている現実に置き換えてみましょう。リンゴは自分で鏡は自分以外です。ここでは、この鏡を他人と定義しておきます。実際にはこの世界全てがあなたを映す鏡なのですが、あなたがその映りを気にするのは他人であることが多いからです。実際「他人の目に私はどう映っているのか」がいちばん気になるでしょう。

あなたは他人という鏡を通して、自分の鏡像を見ようとします。自分とはどういうものか、どんなポジションにあり、どのような状況なのか。あなたが常日頃目にしているのは、鏡に映った鏡像の自分です。直接自分を見ているわけではなく、他人という鏡をヒントに自分がどんな立場に在るかを推測しているに過ぎないのです。その鏡像にどのような印象を持ったか、それが現実というものに対する解釈となります。

あなたと世界は実体と鏡像の関係にあります。実体が変わらなければ鏡像は変わりません。逆に言えば、実体が変われば間違いなく鏡像は変わります。世界は鏡のように正直なのです。そこに歪みはありません。

あなたがいま見ているもの、つまりは「世界」が鏡像であるならば、どこかに「世界」の実体があるはずです。しかし、鏡像が確かに見えているのも関わらず実体はどこにもないように感じます。ではこの「見ているものは全て鏡像である」という概念が間違っているのかというとそうではありません。

「世界」の実体はどこにあるのかというと、あなたの中にあります。あなたの中にある実体が鏡像となって、あなたの視覚に飛び込んでくるのです。あなたは自分以外のもの、つまりは自分の外側にあるものを見ているのではありません。自分の中にあるものを見ているのです。今までその単純な勘違いに苦しめられてきたのです。

外側にあるのは鏡像ですから、細工しようとしても変化はしません。変化させようとしても他人は自分の思い通りには振る舞わないでしょう。自由気ままに勝手な振る舞いをします。それもそのはずで、実体に変化がないのなら鏡像の側は変化しないのです。

外側でも世界でも現実でも、表現の仕方はなんでもいいのですが、あなたは見ている映像の方を変えようとしてきたでしょう。その気持ちはよくわかります。見えているものそのものにアプローチするのが手っ取り早いし、それしか方法はないように感じます。

人間関係で言えば「あの人に振り向いてもらうには、もっと自分はこうならなければ」と言った具合に、相手に直接アプローチしようとしてきたでしょう。しかしそれは、悲しいかな鏡像という幻のような相手に対して行ってきたことだったのです。自分の内面が映し出された鏡像を、物理的な自分が目撃しているのです。実体は全て自分の中にあります。そのことに気付かなければなかなか外側は変わらないのです。

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