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【連載版】Change the World 第1話〜理想と現実のギャップ【無料】

あ人はなぜ悩みを抱えるのでしょう。あなたから見れば「あの人は悩みなんて無さそうだなあ」と、羨ましい限りの人生を送っているように映る人でも人知れず悩みを抱えているものです。

人並外れた優れた容姿を持ち、富も名声も手に入れたかに見えるセレブの中にも自ら死を選択する人がいることからもわかる通り、どんなポジションにいる人であっても人生に悩みは付き物のようです。

悩みは雑草のようなものです。心という庭があるとすれば、頼んでもいないのに勝手に生えてきて、庭の景観を損なう雑草です。その雑草だらけの景色が嫌でむしり取ったのも束の間、また別の場所からニョキニョキと生えてきて、気付いたときには庭が雑草だらけ。

そんな庭を見たくないからと家に籠ってカーテンを引けば、確かに雑草だらけの庭は見えなくなります。しかし、カーテンの向こうには依然として雑草が生えていることには変わりないし、見ない振りをしている間に雑草がより勢力を増してしまうでしょう。

閉じ籠って見ない振りをしても事態は悪化し、なんとか刈り取ったと思ったら別の場所から次々と生える。心の庭からいつまでも雑草がなくならない原因は、表層だけを刈り取って根っこや種を残してしまうからです。これが文字通り「問題の根っこ」「悩みの種」というわけです。

僕らは他人の視点から現実を見ることができない以上、他人の悩みというものを正確に知ることはできません。ドライに聞こえるかもしれませんが、あなたの悩みはあなたにしかわからないし、他人の悩みはその人にしかわかりません。

もしもあなたが第三者の視点から「自分の現実」を見たらどうなるでしょう?赤の他人の視点から客観的にあなたを見たら、あなたの悩みも苦しみも、あなたに降りかかってくる災難も不運も当然ながら全ては他人事になります。

他人の立場からあなたの悩みを見てみると、それがあなたにとってどれだけ深刻なものであろうと「それは大変そうですね」で済まされてしまう程度のものになってしまうのです。

他人に悩みを打ち明けて、他人の一言によってあなたの悩みが軽くなる場合もありますが、最終的に悩みを継続するか解消するかは他人ではなくあなたに決定権があります。

同じようなアドバイスをもらっても、時と場合によって、あるいはアドバイスをもらった人によって「そんなこと言われても…」と思うこともあれば、「そうか。頑張ってみよう」と思うこともあるでしょう。これは「他人の一言によって悩みが解消した」のではなく、「"他人の一言によって悩みが解消した"と自分が決めた」ということの証左です。

このことは、悩みを解消するのに他人は必要ないという意味ではありません。他人からもらったアドバイスを受け入れるも否定するもあなた次第だし、それによって悩みが解消したか継続したままかという判断もあなた次第であるということです。

あなたの悩みがあなただけのものである以上、最終的にそれを解消するか継続するかはあなたの決定にかかっています。

そもそも悩みというのはどのようにして生まれるのでしょうか。悩みを抱えている人には必ず共通することがあります。悲観的な性格の人?消極的な性格の人?何かにつけて不満の多い人?いえいえ、そんなことではありません。

意外に感じるかもしれませんが、悩みを抱えている人は「理想の自分の姿を想像している人」なのです。考えてもみてください。あなたの現実が思い描いた理想通りに展開しているのなら、果たして悩みを抱えるでしょうか?理想と現実にギャップがあるからこそ悩みが生まれるでしょう。

夢や願望、あるいは目標といったものは、その理想と現実のギャップを埋めようとすることです。このギャップが大きければ大きいほど悩みも深刻化していきます。ギャップを直訳すれば「隔たり」や「溝」という意味になりますが、文字通り理想と現実との間に溝があり、その溝が深まれば深まるほど埋めるのが困難であるように感じるのです。

ではこの溝はどのように生まれ、どうすれば埋めることができるのでしょうか。溝を埋めて理想と現実をフラットにすることはできるのでしょうか。もし理想と現実がフラットになったら、現実はあなたの思い描く理想通りの世界になっているのでしょう。

意外なことに、あなたは日々意味もなく悩みを継続させています。あなたから見た現実の景色は昨日とは違うでしょう。それどころか瞬間ごとに景色は変わっていきます。似たような光景はあっても、全く同じ映像は一生のうちで二度とありません。

その瞬間の映像はそのときだけのものなのに、あなたの頭の中は毎日同じような悩みについてグルグル考え続けています。「お金がない。どうしよう」だとか「どうすればあの人は振り向いてくれるんだろう」とか。目の前の映像は刻々と変わっていくのに、あなたの頭の中はちっとも変化していないのです。なるほど「特に代わり映えのない毎日」を体験するのはここにポイントがありそうです。

あなたは常に新しい映像を見ています。昨日とは全く違う新しい映像が見えているのですから、昨日とは全く違う新しい考え方をしてもいいのです。全てが生まれて初めて見る映像であるのに「現実に変化がない」と嘆き続けていないでしょうか。変わっていないのは現実ではなく、あなたの方ではないのでしょうか。

あなたはどんなに新しい映像を見ても、いつも同じような思考を繰り返して代わり映えしない現実を味わっているでしょう。仮に今目にしている映像が映画のようなものだとしましょう。昨日のあなたはそれに「悲観」というタイトルをつけたとします。今日の映像は昨日のものとは全く違うのですから「幸福」というタイトルをつけても構わないはずなのですが、なぜか今日も「悲観」の続きを見ようとしてしまいます。

あなたは今見ている映像とは全く関係のない昨日と同じ悩みを継続させているのです。リアルタイムの映像を見てそう判断しているわけではなく、現実は変化していないだろうという前提で物事を見ているのです。

物事が何も進んでいないように感じる。悩みを抱えているときはそうなっていませんか?一日中、悩みについて考えているときは、どんな映像を見ても旧態依然の思考が固定されたままになるのです。

もし、あなたが今現実に落胆したり、果ては絶望しているとしても問題ありません。そんなお気楽な状況じゃないんだよ、という方も中にはいるかもしれませんが、落胆や絶望といった一般的にはネガティブと捉えられる感情は全ての面で悪というわけではありません。

前述の通り、あなたがネガティブな感情を味わうのは、あなたの理想と現実にギャップがあるからです。あなたは理想を持っているものの、現実がその通りに展開してくれないことに落胆します。そして、理想と現実のギャップを埋めようとすることが夢や願望という形になりますが、これらは全てあなたが理想の自分の姿を想像できるから起こることです。

悩みを抱える人は「理想の自分の姿を想像している人」というカラクリが理解できるのではないでしょうか。逆説的になりますが、あなたは理想を持っているから落ち込むことができるのです。現実を見て落ち込む自分がいたとしても、それは理想を捨てていない証拠なのですから、むしろどんな状況にあっても良くなろうとする自分を褒めてあげてください。ネガティブな感情は、理想の自分を目指そうとするポジティブな思考から発生しているという意外なパラドックスが起こっているのです。

最も深いネガティブな感情は「夢も希望もない」状態ではないでしょうか。文字通り望みが絶たれた絶望の状態です。この状態に陥ると、頭の中に死がちらつき始めてしまいそうです。けれど、ちょっと待ってください。そもそも夢や希望というのはどのような性質のものだったでしょうか。

夢や希望というのは、理想と現実のギャップを埋めようとすることです。「夢も希望もない」と言っているのですから、理想と現実のギャップを埋めることを諦めてしまったのでしょう。ここで問題なのは、この絶望は「理想と現実にギャップがあるから」生まれたのか、それとも「ギャップを埋める方法がわからないから」生まれたのかということです。

こう考えてみてください。もしも理想と現実のギャップを埋める方法を知っている、つまりは夢や希望の叶え方を知っているとしたら、それでも絶望を味わうでしょうか。答えはノーです。理想と現実をフラットにする方法がわかっているのなら、それはもう人生の課題でも問題でもなくなるでしょう。現実を理想通りにすることができるのですから、もう悩む必要などありません。

公式や解き方が全くわからない数学の問題に対して、黒板の前でいくら考え込んだところで解は浮かび上がってこないでしょう。逆に公式や解き方がわかっているのなら、むしろ解くことを楽しいと感じるかもしれません。夢や希望をなくしてしまった状態は「理想と現実のギャップを埋めよ」という問題に対し、解き方がわからず見当もつかないため、黒板の前で為す術なく立ち尽くしてしまっている状態といえます。

現実が地獄のようだから絶望しているというわけではなく、その地獄から這い出す道筋が見えないから絶望するのです。人生の中で落ち込んだり、絶望したりしても構いません。それを振り払う方法、数学の問題でいうところの公式や解き方を知ってさえいればいいのです。

ではこの「理想と現実のギャップを埋めよ」という問題は、そもそもどのように発生したのでしょうか。頭の中で思い描いている理想と、実際に目の当たりにしている現実との間にギャップが生じているから問題となっているわけですから、理想と現実を比較しなければその問題は発生しなかったはずです。

ですからまず前提として、あなたが理想と現実を比較したから問題が発生したということになります。ではこの理想と現実の比較は、本当に正しいのでしょうか。仮に現実の見方が間違っていたら、理想と現実の比較は途端に無意味なものになるでしょう。

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