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【本編】Change the World 第18章~自分から自分への贈り物

あなたの世界には何があり、何が不足していますか?願望実現において「もう叶っている」「既にある」と表現されることがありますが、「どこからどう見ても叶っていない」「ないものはない」と感じる方がほとんどではないでしょうか。

「自分」は現実の何を認識できているのでしょう。なにをもって「ない」と言っているのか。逆に「ある」と言っているのか。あなたの人生の体験は、どのように決まっているのでしょう。

「自分」が知りうる情報は五感で感じたものに限定されます。逆に言えば、あなたが「そんなことは起こっていない」と感じるようなことでも、もしかすると世界の片隅で起こっているのかもしれません。

あなたの知らないところで、誰かがあなたを誉めているかもしれない。誰かがあなたを心配しているかもしれない。人知れず誰かがあなたに想いを寄せているかもしれない。

けれど、それらは「自分」が見たり聞いたりしない限り、起こっていないも同然なのです。「自分」が五感で感じたものは知っているし、五感で感じていないものは知らない。五感で感じることができなければ「そのような現実は存在しない」のです。

あなたの友達や同級生、あるいは上司や同僚といった人たちが、あなたのいないところであなたのことを誉めていたとします。あなたがその場にいてその言葉を聞いたならば、あなたは自分が評価されていることを知るでしょう。

「もしかすると社交辞令かもしれない」と思うこともあるかもしれませんが、いずれにしろ嫌な気はしないでしょう。自分が良い評価をされているという現実が「ある」のですから。

それがもし、その人たちの立ち話を偶然聞いたというシチュエーションだったら、その評価は確信に変わるのではないでしょうか。「私のいないところで誉めてくれている。私は良い評価をされているんだ」という現実を認識できるでしょう。

「自分」がなぜその現実を認識できたのかというと、それを「見聞きした」からです。では、その人たちがあなたが不在の場であなたのことを誉めていたらどうでしょう。

その場にいないのですから、「自分」はそれを見聞きすることはできません。あなたは、五感で感じることができなかった出来事は知る術がないのです。あなたが知らないということは、あなたの現実では起こっていない、あなたは誉められていないということになります。

あなたは「自分の現実」というものを把握しているように感じているかもしれません。けれど「自分」が五感で認識している現実などせいぜい半径数メートルの範囲内です。視覚ならばもう少し広く数十メートルから数百メートルまで認識できるでしょうか。

けれど、いずれにしても世界という広大なフィールドから見れば、あなたが認識できる半径数百メートルなどごく限られた範囲です。そんな狭い範囲内で現実の全てを知ろうとすること自体、無理があるのです。

一枚の写真を想像してください。そのうちのどこか一点を極限までズームアップすると、1ピクセルであることはわかるでしょう。色のついたただの四角です。

その周囲のせいぜい数ピクセルの範囲を見ただけで、それがどんな写真なのかわかるでしょうか。その数ピクセルからわかることは、「この写真には黄色が含まれている」とか「この写真の一部は黒色である」といった程度の情報だけでしょう。

それと同じように、「自分」が見て、五感で感じ取っている範囲内から全てを把握することなど最初から不可能なのです。いま世界の片隅で何が起こっているかなど、あなたには把握できないでしよう。

あなたが「ない」と言うとき、常に「自分が認識できる範囲内には」という注釈がつきます。隣の家でどんな会話がされているかさえ、僕らは認識することができません。

認識できる範囲の中に「ない」からといって、そう決めつけるのは早計です。認識できる範囲の中にないのなら、認識できる範囲の外側を見てみれば良いのです。

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