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【本編】Change the World 第15章~「どんな自分でもいい」ということの本当の意味

あなたの世界では何が叶っていて、何が叶っていないでしょうか。恋愛面は充実しているけれど、金銭面は充実していない。金銭面は充実しているけれど、人に恵まれていない。仕事は楽しいけれど、プライベートは...。などなど、様々なパターンがあるでしょう。

中には「何もかも不満だ!何も叶っていない!」と感じる方もいるのではないでしょうか。けれど、もしも「何も叶っていない」ならば、あなたは「この世界に存在する」ということすら叶っていないということになりますから、当然ながらここにいることはできないし、この世界を見ることもできません。

あなたが今、この世界を見ることができているのなら何も叶っていないということはあり得ません。あなたは常に「何かしらが叶っている」世界にいるのです。

もう一度、最初の質問に戻ってみましょう。あなたの世界では何が叶っていて、何が叶っていないでしょうか。皮肉なことに「願っていることは叶っておらず、特に願った覚えのないものが叶っている」。そんな風に見えないでしょうか。

あなたは男性、もしくは女性として生まれることを願った覚えはあるでしょうか。あなたは生まれる町を選んだり、その町に生まれることを願ったでしょうか。あなたの視界に転がっている道端の石は「そこに石がありますように」と願ったでしょうか。

あなたの願い通りに存在しているものはほんの一握りで、ほぼ全てのものはあなたの意思とは関係なく存在しているのではないでしょうか。リンゴという甘酸っぱい果実が存在すること、雨や風といった自然現象が起こること、それらをあなたが願ったことは一度もないでしょう。

一般的な意味で「願いが叶う」とはなんでしょう。願いが叶うとは、世界があなたの期待通りの形で存在することです。あなたの好きな人や、周りにいてくれる人、仕事やお金といったもの。そうしたものが心地いい関係で存在してくれる状態です。

では、その願いの出所はどこなのでしょうか。答えを先に言うと、願いには必ず比較対象という種があるのです。こう考えてみてください。もしあなたが世界にひとりぼっちだとしたら、それでも願いを持つでしょうか。

例えば、お金持ちになりたいという願いを持ったところで、世界にはあなたしかいないのですから、そのお金を誰に支払うわけでもなければ、誰かに自慢できるわけでもありません。

そもそも、比較対象がいないのですから、お金持ちとか貧乏といった概念自体が存在しないでしょう。もっと言えば、お金によって売ったり買ったりといったシステム自体が存在しないでしょう。あなたしかいないのですから、お金というもの自体が存在しているかどうかさえ怪しいものです。

偉くなりたい、スゴイと思われたい、一目置かれたい。あるいはオシャレでありたい、キレイでありたい、カッコよくありたい。そうした承認欲求は、あなたしか存在しない世界で何の意味を持つでしょうか。

そもそも、あなた一人しかいない世界で承認欲求は出てくるのでしょうか。答えはノーです。あなたしかおらず比較対象がないのですから、あなたは誰かに評価されたいとか、「よく思われたい」という気持ち自体が出てこないでしょう。

「アイツにだけは負けたくない」とか、逆に「あの人のようになりたい」といったことは、「自分ではない誰か」という比較対象があればこそ成立するのです。

自分と対象を比較して発生した羨望や嫉妬から願望の種が生まれ、あなたの中に蒔かれます。その種は芽を出し、苗となり、蕾を膨らませ、花開く日を今か今かと待っているでしょう。

誰もが無数の願望の蕾を持っているのです。願望がうまく伝わっていないのではないかと心配する必要はありません。あなたの願望はいつだって開花目前にあります。あなたのすることは、日陰に置かれている願望の蕾を、日向に出してあげることだけです。

陽の当たらない地下室で水をあげて大切にしても、なかなか花は咲かないでしょう。暖かな陽の光に当ててください。あなたはすぐにでも開花宣言することができるでしょう。

あなたの願望が叶わないのは、能力のせいでも、環境のせいでも、運のせいでもありません。ここは「常に何かしらが叶っている世界」ですから、あなたが暗闇に放置しているものは見えないし、意識的にせよ無意識的にせよ光に当てたものは見えるのです。

願った覚えのないものほど叶っていて、大切な願いほど叶っていないのはなぜでしょうか。それは、あなたが願望を大切にし過ぎているからです。

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