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【スペインの先頭】スペイン人として初の世界1位達成とスペインテニス王国のきっかけを築く。カルロス・モヤのヒストリー#102

皆さん、こんにちは。
「Change Court」記者のtakableです。

 この記事ではテニス選手個人にフォーカスを当てて選手のヒストリーやエピソードについてご紹介していきたいと思います。
 「チャーリー」や「モイニー」の愛称で呼ばれている、スペイン人のカルロス・モヤ選手についてご紹介です。
 この記事では、男子スペイン人選手として初の世界ランク1位を達成した、スペイン出身のチャーリーが今までどのようキャリアを歩んできたのか、どのようなサポートを受けて成長をしてきたのか振り返ってご紹介していきたいと思います。(2021.05.06現在)

※記事をより簡単に読んでいただくため表記に独自のルールを利用しています。

カルロス・モヤ
ベースラインから放たれる強力なフォアハンドを武器に相手を左右に揺さぶりエースを量産するプレーが特徴。バックハンド側に走らされた場合に打つ、必殺のスライディングショットはスライスでもスピンの両方で逆転のダウンザラインでポイントを奪取する。サッカーチームのRCDマジョルカが好き。


「6歳でテニスを始める!」

19.2歳ブエノスアイレスでツアー初優勝

 1976年8月27日スペインのマヨルカ島のパルマで姉と兄の3人兄弟の末っ子として産まれました。テニスを始めたのは3歳の頃で、実家の隣にあったテニスクラブで父や兄がテニスをしているのを見て自身もプレーを開始しました。6歳の頃からそのテニスクラブでレッスンを開始しました。
 幼少期はテニスの他にも、サッカーやバスケをプレーしていましたが、テニスを選択しました。
 

「父とJ.ポルタによる指導とジュニア時代」


左から、T.ナダル、C.モヤ、R.ナダル、J.ポルタ


 6歳の頃に、チャーリーの父がJ.ポルタにコーチを頼み、父とJ.ポルタがチャーリーをプロまで引き上げました。プロ後も5年間程度、J.ポルタがコーチとしてチャーリーの指導をしています。
 ジュニア時代は4つの国際大会に出場し14勝2敗(勝率87.5%)でした。ジュニアの活動と並行して1993年1月16.4歳からは、現在のフューチャーズの立ち位置であるサテライトにも出場しました。
 プロになる1995年1月までに、スペインやポルトガルの大会を中心に32大会出場し、3大会で優勝を経験しました。 

「ジュニアの大会と並行しながらプロへの挑戦」

1998GS・Fで優勝


 初のツアー大会は、1995年6月で予選を勝ち上がりポルトの大会に18.9歳で出場しました。その後はツアーとフューチャーズで活躍をしますが、1995年11月のブエノスアイレスでは19.2歳でツアー初優勝をし61位でデビュー年を終えました。
 1996年は1月にGSデビューをGS・Aで達成し4月のモンテカルロ1000で1000グレードのデビューなどツアーでも上層の大会で戦うことができるようになりました。
 1997年はGS・Aでの決勝進出を含め5度の決勝に挑みましたがタイトルは1つでした。最終戦となるツアーファイナルにも初出場し第一シードのP.サンプラスを破りSFに進出をしました。
 プロ4年目の1998年はGS・Fにて同胞のA.コレチャとの決勝戦に勝利し優勝、翌年の3月インディアンウェールズ1000での準優勝などの成績により、スペイン人として初の世界ランキング1位を22.6歳で達成しました。

 
 幼少の頃から父親とJ.ポルタの指導により歩んできたチャーリーですが、スペイン人で世界No1の選手や、故郷のマヨルカ島には世界TOPになるための模倣となる人がいなかったことでスペインのテニスの先駆者と呼ばれるようになりました。C.モヤが先頭を切り活躍したことで、J.ポルタもコーチングを学び、マヨルカ島からR.ナダルという次世代のスーパースターの誕生のきっかけを築きました。
 チャーリーの活躍により、スペインテニスはより一層注目され、クレーだけではなくハードや様々なサーフェスでも戦えるスペイン人が増えていきました。
 
 引退後はコーチとしてM.ラオニッチを世界3位まで引き上げ、現在はR.ナダルのコーチとして活躍をしています。今後も故郷のスペインやマヨルカ島出身の選手の育成を続けていくチャーリーの活躍に期待しています。
 将来、R.ナダルとC.モヤがタッグを組んでさらにテニス界に貢献をしてくれる姿を見れることを楽しみにしています。

記録
✴︎22.6歳 スペイン人として初の世界ランキング1位達成
✴︎22.8歳 世界で最も美しい50人の1人に選出 
✴︎実は、文字を書くのは左手…(記録ではありません)


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PS. C.モヤの活躍でピュアドライブが注目された頃、日本には?僕の故郷にはバボラ製品はガットしか売っていませんでした。

PPS.  まだ、11歳位だった僕にとって先輩がスペインまで行ってピュアドライブとラケットバックを買ってきたことは衝撃的でした。


PS.
 CC記者のタカブルは2022年4月よりテニス行楽を開始しています。様々な地域でテニスに関する「不快」の部分を直接伺うことで、少しでも自分で解決できることはないのかを考える旅です。
 「一緒にテニスしましょー!」、「ちょっと現地みて欲しい!」、「子どもたちの育成で悩みが…」などの、ご要望ありましたらいつでも、お声掛けください!駆けつけます!


〜CC(Change Court)について〜
 CCは、テニスのジュニア育成に関する問題や課題を解決していくための考察記事です。
 「うちの地区こんな問題があるんですが…」、「これは正しいのかなぁ!?」、「これってどうしたらいいでしょうか?」そんなテニスのジュニア育成に関する悩みや課題を解決できるきっかけを皆さんと一緒に考察します。
 

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