【紫電一閃】テニス大国フランスから久々登場!期待のホープ。ユーゴ・アンベールのヒストリー#2
皆さん、こんにちは。
「Change Court」記者のtakableです。
この記事ではテニス選手個人にフォーカスを当てて選手のヒストリーやエピソードについてご紹介していきたいと思います。
「ユーゴ」の愛称で呼ばれている、フランス人のユーゴ・アンベール選手についてご紹介です。
この記事では、テニス大国でありながら高齢化が問題視されている、フランスの期待のホープが今までどのようキャリアを歩んできたのか、どのようなサポートを受けて成長をしてきたのか振り返ってご紹介していきたいと思います。(2021.06.15現在記、2022.08.15 ランキング・年表等更新)
※記事をより簡単に読んでいただくため表記に独自のルールを利用しています。
ユーゴ・アンベール
コンパクトなテイクバックから放たれるダウンザライン一閃で相手を仕留めるテニスが特徴。2度の大きな怪我での離脱を乗り越えた精神力が強い選手。ピアノとギターを弾くのが好き。
「5歳でテニスを始め、12歳で留学!」
2017.09.12プロ初タイトルの「バニェール=ド=ビゴールF」優勝の投稿
1998年6月26日フランス北部のメス市で食肉店を営む両親の元生まれました。父がテニスをプレーしているのをみて、自身もテニスをしたいと思ったことがきっかけでユーゴは5歳で開始しました。
12歳の頃には、プロテニス選手を夢見てフランステニス連盟からの指導を受けるために、故郷のメスから600km以上離れた、先端技術開発や研究機関の集中する街であるポワティエにテニス留学、その後パリへ移りました。
「1年半の怪我を乗り越えプロへ挑戦!」
留学中の2010~11年(12~13歳)の頃には、怪我が原因で1年半の間テニスができない日々がありましたが、その困難からの奮起もあり16歳でプロへ挑戦を決意しました。
2014年(15歳頃)からは、INSEPと呼ばれる、パリ郊外にあるエリート育成のためのフランスのスポーツ研究機関でトレーニングを開始しました。この頃から、C・レイノーがコーチに就任し2019年の4年間コーチと選手の関係は続きました。現在は、南仏のニースにある2015年に創設されたオールインテニスアカデミーを拠点とし、創設者のT.アシオーネ、N.コピンの2名のコーチとチームを組んで活動をしています。
「再び怪我で離脱するも奮起して、ツアー優勝へ!」
2020.01.20 アントワープ250でツアー初優勝の投稿
怪我の影響があるものの、ジュニア時代の最高位は18位で、16.8歳フューチャーズ、17.8歳~18歳の間は怪我で試合に出場できない期間を乗り越え、19.3歳チャレンジャー、20.2歳ツアーデビューと立ち止まりながらも出場大会のランクを上げていき、21.6歳のオークランド250でツアー初優勝、9ヶ月後のアントワープ250でツアー2勝目をあげ、キャリアハイの29位を22.8歳で達成し現在に至ります。
幼少の頃からスポーツ大国でもあるフランステニス協会の最先端の教育を受け一貫して受けてきたユーゴの活躍に期待しています。今後も、必殺の紫電一閃がコート上を貫き、会場の皆が驚くシーンを見れることを楽しみにしています。
記録
✴︎21歳 ツアー優勝時の年齢フランス人最年少記録(R.ガスケと同じ)
✴︎21歳 GS・Wで2セットダウンからフランスを代表する選手G.モンフィス(15)に勝利
✴︎22.3歳 アントワープ250のSFで4つのマッチポイントを防いでツアー優勝
今後もこのような記事をあげていきますので、もしよかったよ〜という方は是非note内の「スキ」や「記事の保存」をお願いします。
この選手の記事を読んでみたい!調べてほしい!というご要望ありましたら、お気軽にご連絡ください。それでは次の記事で。さようなら。
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PS.フランス人選手の高齢化問題は本当なのか?を表にしてみました。(一番最後にあります)
2021.06.15のランキング↑
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