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【コーチとの出会いが運命を変える】自分で自分にプレッシャーをかけた呪縛からの解放!?クリスティアン・ガリンのヒストリー#59

皆さん、こんにちは。
「Change Court」記者のtakableです。

 この記事ではテニス選手個人にフォーカスを当てて選手のヒストリーやエピソードについてご紹介します。今回は「大国出身じゃなくっても世界で活躍できる!」の仮説を「 大国ではない国々から、どうやって大国に勝利できる選手を育てているのか」を「日本より国土面積が大きいけど人口が少ない国」の選手の22歳頃までの年齢までどのような道だったのかを調べていきます。(2021.09.08現在)

※記事をより簡単に読んでいただくため表記に独自のルールを利用しています。

クリスティアン・ガリン
素早く足を動かすことができる強い身体のパフォーマンスとラケットワークの巧みさを武器に、粘り強く戦い抜くことで相手より優位に立つプレーが特徴。NBAを見るのが好き。

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チリ情報

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「5歳でテニスを開始し、チリ名門アカデミーで育つ」

 

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17歳ジュニアGS・F優勝

 
 1996年5月30日チリのサンティアゴでエンジニアの両親のもと生まれました。5歳の頃に父とテニスをプレーしたことがきっかけでテニスを開始しました。
 ジュニア時代は地元のT1テニスアカデミーへ通い、11歳~13歳の間は同国のレジェンドN.マチューやF.ゴンザレスを育てたM.コンぺンがコーチでした。
 2011年4月14.10歳でパラグアイの国際大会で国際大会デビューと国際大会初優勝をしました。ジュニア期の成績は32大会で82勝30敗(勝率73%)で2013年ジュニアGS・FではA.ズベレフに勝利して優勝し、キャリアハイは4位でした。

「19歳でスペインに拠点を移すが1年でチリへ戻る」

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19歳の頃、スペインのナダルアカデミーでR.ナダルと練習

 ジュニアと並行してシニアの大会にも出場し、15.4歳フューチャーズ、15.9歳チャレンジャーデビューを達成しました。
 2013年2月16.8歳で地元チリで開催されたビニャ・デル・マール250にWCで出場しツアーデビューと初勝利をしたことで、2014年388位からスタートしたランキングは252位まで上昇しました。
 
 2015年1月からは、より多くのトーナメントに参加したいとの意向から、家族でスペインへ引っ越しマヨルカ島のナダルアカデミーとバルセロナの2拠点での活動を開始しました。
 しかしながら拠点変更はうまくいかず、1年で2人のスペイン人コーチに指導を受けましたがランキングも321位までさげ、1年でスペインからチリへ戻りました。 


「拠点を戻し、2018年からの飛躍」

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22.10歳ヒューストン250でツアー初優勝

 2018年ロサンゼルスで、アルゼンチン人コーチのA.シュナイターとの出会いにより、ガゴは復活します。結果として、A.シュナイターとの2年間の間に4つのシングルスタイトルを獲得しキャリアハイの18位を達成しました。

 A.シュナイターがガゴに感じたことは、「孤独」でした。ガゴにはコーチが不在なだけはなく、トレーナーや練習相手、練習拠点などのチームが不足していたことで、まずはチーム編成を行いました。

 チーム編成とともに、「テニスを楽しんでいない」メンタル面も変えていきました。メンタルを落としていた理由は、ジュニア期にキャリアハイの4位の獲得、同世代の選手A.ズベレフ、B.チョリッチ、M.キリオスらが20歳頃から、スムーズにシニアでも活躍していたことで「周囲だけでなく自分自身でも自分への過度な期待と同世代の選手との比較をしていた」からでした。
 
 コーチによるチーム編成で明確化した問題と解決策により、ガゴ自身も「前とは大きく変わって、テニスを以前より楽しんでる。試合を楽しみながらコートでプレーすることが一番大切だ」と語り、チームと共にテニスを楽しみながら成長した結果キャリアハイの18位獲得と4つのツアータイトル獲得をチームで達成することができました。

 ランキングを上位を狙うために、18歳からヨーロッパに拠点を変更をしたり、コーチを変えるなど、プロで活躍することを夢見て試行錯誤しました。その苦労から出会ったコーチやチームとの出会いにより、奮起し100位をブレイクスルーしたのは、22.4歳でした。
 
 シニアへの移行はスムーズにはいきませんでしたが、コーチやチームの編成によりメンタルを回復させテニスを楽しめるようになりました。今後も脚力とラケットワークを巧みに扱い、相手のスーパーショットを帳消しにするようなスーパーショットで返球しながらテニスを楽しむガゴの姿を見れることを期待しています。M.リオス以来のチリ人世界1位への道のりも楽しみにしています。
 


記録
✴︎ジュニアキャリアハイ4位。2013年JrGS・FではA.ズベレフに勝利して優勝
✴︎5大会のタイトルを獲得。2019年ヒューストン250ではJ.チャルディーから5回のマッチポイントを防ぎ、同年ミュンヘン250では2回のマッチポイントをA.ズベレフから守って優勝
✴︎2020年リオ500がキャリア最大の優勝で、その後キャリアハイの18位を達成


 今後もこのような記事をあげていきますので、もしよかったよ〜という方は是非note内の「スキ」や「記事の保存」をお願いします。
 この選手の記事を読んでみたい!調べてほしい!というご要望ありましたら、お気軽にご連絡ください。それでは次の記事で。さようなら。



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PS.ジュニア期のT1テニスアカデミー時代にどのようにして国際大会で勝利できるようになったのか伺いたいです。


〜CC(Change Court)について〜
 CCは、テニスのジュニア育成に関する問題や課題を解決していくための考察記事です。
 「うちの地区こんな問題があるんですが…」、「これは正しいのかなぁ!?」、「これってどうしたらいいでしょうか?」そんなテニスのジュニア育成に関する悩みや課題を解決できるきっかけを皆さんと一緒に考察します。
 

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