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【BIG4の影に隠れた存在】チェコの筆頭としてデ杯を2連覇に導いたチェコのエース!?トーマシュ・ベルディヒのヒストリー#46

皆さん、こんにちは。
「Change Court」記者のtakableです。

 この記事ではテニス選手個人にフォーカスを当てて選手のヒストリーやエピソードについてご紹介していきたいと思います。
 「ベルダ」の愛称で呼ばれている、チェコ人のトーマシュ・ベルディヒ選手についてご紹介です。この記事では、「日本は小さい国だし世界は無理でしょー!?」という仮説に対して、「小さい国からでも世界で活躍できるの?」という疑問に対して皆さんと検証します。
 今回から小国のレジェンドを3名特集していきます。今回はベルダが今までどのようキャリアを歩んできたのか、どのようなサポートを受けて成長をしてきたのか振り返ってご紹介していきたいと思います。(2021.08.23現在)

※記事をより簡単に読んでいただくため表記に独自のルールを利用しています。

トーマシュ・ベルディヒ
得意のフォアハンドの逆クロスを打つまで辛抱強く相手のコート深くに安定してボールを返球することができる選手。アーセナルとデトロイトレッドウィングス(NHL)のファン。

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チェコ

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 チェコは面積・人口ともに世界的にみても小さな国です。チェコ人は、女性は強く、男性は奥手で女性の社会進出が高い国です。首都プラハは14世紀にローマ帝国の首都となり「黄金のプラハ 」、「百塔の街」と呼ばれ中央ヨーロッパの中心の都となりました。
 冬が厳しい国であるため室内スポーツ施設が充実しており、国技としてアイスホッケーが盛んです。外のスポーツはサッカーで2003年バロンドールを獲得したP.ネドベド、アーセナルのレジェンドのT.ロシツキーやP.チェフらが有名です。テニスでは現在アメリカ代表でプレーするS.コルダの父P.コルダ、J.ノバック、R.ステパネクなど世界ランクTOP10以上に在籍した選手が5名も存在しています。
 

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「5歳でテニスを始め、11歳でプロを決意!」

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ジュニア期のベルダ(左)

 1985年9月17日チェコのヴァラシュケー・メジジーチーで鉄道のエンジニアの父と医者の母のもと生まれました。5歳から地元のテニスクラブでテニスを開始し、12歳以下のチェコチャンピヨンになったことで、故郷から70km先にある年のプロスチェヨフに移り、TK アグロフェルト プロスチェヨフを拠点に活動をしました。
 このクラブはチェコ以外にも、イタリア人のA.セッピ、フィンランド人のY.ニエミエン、ドイツ人のF.マイヤーなども拠点にするなど、世界クラスのテニスプレイヤーが所属した、テニスの才能の育成と教育のために創設されたテニスセンターです。
 ジュニアの国際大会には、13.7歳から進出し、17.6歳でジュニアのキャリアハイ6位を達成し、76勝32敗(勝率70%)の記録を残しました。


「キャリア初期、22歳までにTOP10入り!」

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2004年アテネオリンピックでR.フェデラー[1]に勝利


 シニアデビューは16.1歳のチェコのフューチャーズでジュニアと並行してプレーしました。17.11歳でGSとツアーデビューをし、18.10歳で出場したアテネ オリンピック2回戦でR.フェデラー[1]を倒してQF進出と10代で一気にスターダムへ駆け上がりました。
 TOP10を破り9位になったのは、2006年8月20日21.11歳で達成しました。2006年はGS・WでGS初のQF進出を経験しTOP10の壁を越えるきっかけになりました。

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 キャリアハイは4位で達成したのは、2015年5月20日で29.8歳でした。特に2015年に入ってからの成績は素晴らしく、世界ランク4位を達成するまで9大会で全てQF以上へ進出しました。
敗退した対戦相手も、ビック4に7回、S.ワウリンカとD.フェレールに1回づつで、下位相手に勝利を取りこぼすことがなくなってきたのがランキングを4位まで押し上げた要因です。

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「34歳引退!」

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"Game Set Tennis Career"


 2019年11月16日34.1歳で引退宣言をしました。引退の理由は、2018年に痛めた背中の怪我でした。2018年6月のロンドン500以降シーズンを全休止、2018年1月ドーハ250で復帰戦で決勝進出、GS・Aで4回戦、2月モンテペリエ250でSFと好成績を残しましたが、その後は、1回戦敗退、2回戦敗退が3回づつで、8月GS・UでJ18.10歳で予選から本戦に登ってきたJ.ブルックスビー[394]に敗退したことで、引退を決意しました。
 ツアーに復帰はしましたが、2018年全休以降引退まで背中の怪我に悩み、トップコンディションに戻らないことが引退の理由でした。
 
 

 チェコのエースとして、デビスカップを2年連続の優勝に導いた豪将です。BIG4の影に隠れてしまってますが、BIG4全員に勝利の経験があり、GSでは全てでベスト4以上に進出し、743勝の成績を残しました。
 引退の際には、「今後の計画は何も計画を持たないことが計画」そして、「休息として家族と過ごすこと」でした。引退して2年が経過し、現在は、自転車・スキー・ゴルフなどのアウトドアスポーツを年中エンジョイしています。
 第2章のベルダの活動に期待しています。ベルダがテニス界に戻ってきてくれることを楽しみにしています。

記録
✴︎2012、13年のデビスカップ優勝、2009年準優勝のメンバー。2013年1回L.ロソルと組んだダブルスでファイナルセット24-22の最長時間7時間1分で勝利(相手はM.チウディネリ/S.ワウリンカ)
✴︎13のツアータイトル獲得。2005年パリ1000では最もランキングの低い50位での優勝
✴︎2010年~2015年ツアーファイナルに6年連続進出
✴︎GSを52大会連続で出場

 今後もこのような記事をあげていきますので、もしよかったよ〜という方は是非note内の「スキ」や「記事の保存」をお願いします。
 この選手の記事を読んでみたい!調べてほしい!というご要望ありましたら、お気軽にご連絡ください。それでは次の記事で。さようなら。

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PS.怪我による途中離脱が少なく、17年間戦えた理由を伺いたいです。


〜CC(Change Court)について〜
 CCは、テニスのジュニア育成に関する問題や課題を解決していくための考察記事です。
 「うちの地区こんな問題があるんですが…」、「これは正しいのかなぁ!?」、「これってどうしたらいいでしょうか?」そんなテニスのジュニア育成に関する悩みや課題を解決できるきっかけを皆さんと一緒に考察します。
 

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