敗訴したら世論が動いた。サイボウズの青野慶久社長が、選択的夫婦別姓を「勝ちゲーム」だと確信する理由
結婚する時はどちらかの姓を変更して、夫婦同姓にすること。
それは明治時代に始まった家制度の名残であり、今や夫婦同姓を義務付けているのは世界でも日本だけ。海外ではそのような規定がそもそもないか、あってもすでに廃止した国がほとんどだ。日本では女性の社会進出や権利意識の高まりを受け、約20年前に見直しの機運が高まったが、未だに選択的夫婦別姓は実現していない。
いわゆるIT企業の社長である青野慶久さんは、結婚の際にパートナーの名字に改姓した経験から、選択的夫婦別姓の実現を求めて、自ら裁判を起こした。そして、ビジネスマンならではの視点で、男性側からも声が上あがったことで、これまでにはないムーブメントとなって世論を大きく動かした。長く議論が進まなかった問題が、国民の7割以上が賛成するまでに至ったその道のりは、一体どんなものだったのか。問題に一石を投じ、選択的夫婦別姓の議論を大きく前進させ、今も実現への道を走り続けている青野さんに話を聞いた。
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◾️実は典型的な昭和男?「名字を変えたくない」に仰天
ソフトウエア開発会社「サイボウズ」の社長として、2006年から「100人100通りの働き方」を掲げ、働き方改革を牽引してきた青野慶久さん。社内では10年前からテレワークを実践し、コロナ禍で多くの企業が在宅勤務へのシフトに手間取る中で、サイボウズはさらなる変革を遂げてハイブリッドワークを推し進めている。先進的なイメージが強い青野さんだが、実は根っからの昭和の人間だと自身を語る。
そんな青野さんは、結婚する時にパートナーから「名字を変えたくない」と打ち明けられた時は、晴天の霹靂だったという。
◾️判子は常に2個持ち。改姓は「とにかく面倒くさい」
免許やパスポートを皮切りに名義変更をし始めると、そこに紐づく銀行やクレジットカードなど、ドミノ式に手続きが増えていく。とにかく手間がかかる上に、ようやく変更手続きが片付いても、今度は「本名と通称の使い分け」というさらに厄介な問題が待ち構えている。中身によって通称でいけるもの、戸籍名が必須なものがあり、書類ひとつサインするにも、どちらを使うべきかを考えなければいけない。トラブルを回避するため、判子は常に2個持ちだ。
海外では名前を使い分けるという文化がないため、パスポートと名前が違うだけで、フェイクIDだと誤解されて不審者扱いになってしまう。実際にアメリカでは「予約名とパスポートの名前が違う」と危うく夜中にホテルを追い出されそうになったこともあった。そのような実害に加えて、男性側が改姓したことを不思議がる周りの人たちに、毎回その理由を説明するのも「とにかく面倒くさい」と青野さんはげんなりする。
◾️問題は国会議員?80年代から進まない議論
「僕にとっては、名前を変えるのはとにかく面倒だし非効率」と、自身の経験をオープンに語っていた青野さんは、10年以上前からその手のテーマで取材も受けていた。しかし、当時は特に選択的夫婦別姓の必要性を訴えることも、アクションを起こすこともなかったという。
遡れば、女性が社会で活躍するようになった1980年代から、選択的夫婦別姓についての議論はあった。しかし、なかなか法律や制度を変えるところまで進展しない。それは法律を作る国会議員の問題だと、青野さんは冷静に分析する。
◾️理系男子も共感。「経済的損失」という論点
ボトルネックになっているのは、自分ごと化できない国会議員。困っているのが主に女性だからと言ってジェンダーの問題になると、多数派の男性議員の共感を得るのが難しくなり、家族や絆などの感情論になると建設的な議論ができなくなる。だからこそ、青野さんはロジックにこだわった。
工学部出身でエンジニア気質の青野さんは、考案したロジックを「はてなブックマーク」で検証した。理系男子が多く集まるその場所で、多くのユーザーが青野さんの説明に「なるほど」と共感してくれた。彼らの多くが、問題を自分ごと化できているわけではないが、ロジックには納得して賛成してくれている。「これこそが僕の求めていた反応だ」と青野さんは確かな手応えを感じた。「無意味に手間がかかって、誰も得をしてない。だから選択肢を用意したほうがいい」そう説明されたら、男性でも、名前を変えない側の人でも賛成する理由ができる。
◾️「勝つと思っていた」裁判が棄却。自ら訴訟へ
そんな青野さんが、実際にアクションに踏み切ることになったターニングポイントは、2015年末に最高裁判決を迎えた裁判だった。男女5人を原告とした、「夫婦同氏を強制する民法750条は憲法違反」との訴え(夫婦別姓訴訟)が最高裁で棄却された。
なぜ棄却されたのか。その謎を解明するために、合理主義な青野さんは裏取りを始めた。知り合いの政治家に片っ端から声をかけて、話を聞いて回った。「一部の政治家が強硬に反対している」「夫婦別姓の話はタブーの雰囲気がある」……。納得できない理由が次々と出てくる状況に、「これは崩しにかからねば」と決意を固めた青野さん。そこへタイミングよく「選択的夫婦別姓の裁判をしませんか?」という誘いが舞い込んだ。
声をかけたのは、人権派の作花弁護士。「再婚禁止期間が男女不平等である」の裁判で、戦後10番目の最高裁での違憲判決、かつ、性差別による初めての違憲判決を勝ち取った優秀な弁護士だ。実際に話を聞いてみると、そのロジックがとにかくわかりやすい。「外国人と結婚したら名字を変えなくていいのに、日本人と結婚したらなぜ名字を変えないといけないのか」青野さんは「こんなにわかりやすい不平等はない。これなら裁判で戦えるはず」と確信して、2018年1月9日、選択的夫婦別姓を実現するための訴訟を起こした。
◾️この時をみんなが待っていた!勝利を確信した青野さん
ある意味流れに乗るように裁判に参加した青野さんだったが、世の中は青野さんを祭り上げた。訴訟を報じる毎日新聞の記事が「Yahoo!」のトップニュースになり、検索ランキングでは「サイボウズ社長」がトレンド入り。想定外の盛り上がりに青野さんは仰天した。
訴訟を起こしてまもなく、青野さんはChange.orgで「夫婦同姓・別姓を選べる社会にするため、私たちの訴訟を応援してください!」の署名も立ち上げた。オンライン署名なら、この問題の論点や考え方について、もっと多くの人に広めることができるかもしれない。そんな希望を胸にSNSで発信し続けていると、日に日に賛同者が増え、約1か月で賛同者は4万人を超えた。
◾️半べそ報道から一転。敗訴が世論を巻き起こす
しかし、青野さんたちの訴えは地裁、高裁で棄却され、2021年6月23日、最高裁でも棄却された。かすかな望みだった判決文で違憲判決が出ることもなかった。ロジックに自信を持っていた青野さんは、「甘かったですね。裁判官にはロジックは必ずしも必要ではないということがわかりました」と悔しさを滲ませる。
敗訴の報道を受けて、「これは国に任せててもだめだ」「裁判に期待しててはいけない」「何か動かなきゃ」という機運がさらに高まった。草の根の活動も増え、みんなで全国各地の地方議会に陳情書を出し、全国から選択的夫婦別姓を推進するように働きかける「全国陳情アクション」も、発起人の井田菜穂さんを中心にどんどん広がっていった。
■経済界からも賛同者がうなぎのぼり
経済界から狼煙を上げたものの、ビジネス界隈からのリアクションは当初はかなり薄かったと青野さんは振り返る。「応援してるよ」と言われることはあっても、表立って賛同を表明してくれる人はほとんどいなかった。「社長が政治的発言をするのはいかがなものか」という風潮はまだまだ強く、クレームが届いたり、業種によっては不買運動に繋がってしまうという難しさもあった。
しかし、2021年4月、企業経営に携わる19人が共同呼びかけ人となり、「選択的夫婦別姓の早期実現を求めるビジネスリーダー有志の会」が立ち上がった。株式会社ドワンゴの夏野剛さんと共に、青野さんも共同代表として参加していたが、始める前は署名が集まるか懐疑的だった。しかし、蓋を開けてみると、3か月弱で634人もの経済人が名を連ね、今も賛同者は増え続けている。
■政界でも変化の兆し?世論が賛成でも進まないのは「システムの問題」
政界でも変化の兆しが見えてきた。2019年、滝川クリステルさんと結婚した小泉進次郎さんは、経済同友会主催の講演で「もし選択的夫婦別姓の環境が整っていたら、私はその(夫婦別姓を選ぶ)可能性があったと思う」と発言した。青野さん曰く、その頃から小泉さんは賛成のスタンスを堂々と表明し、多様な選択肢のある社会を積極的に推進してくれるようになり、政界内の風向きが変わったのを感じたという。
2021年3月には、「選択的夫婦別氏(姓)制度を早期に実現する議員連盟」が設立された。会長は保守派の重鎮とも言われる浜田靖一さん。設立総会には青野さんもゲストとして参加し、ベテラン議員たちの協力的な姿勢に社会の潮目を感じていた。
それでも自民党保守派は根強く、他の全党が賛成の立場をとっても、頑なに反対の姿勢を貫いた。菅義偉前首相も岸田文雄首相も、かつては選択的夫婦別姓には賛成だった。岸田首相は前出の議連の呼びかけ人でもあり、河野太郎さん、野田聖子さんと共に、選択的夫婦別姓推進議連の役員も務めている。しかし、2021年の総裁選以降は反対派に配慮してか、一気にトーンダウンしてしまった。それは総理大臣が与党の国会議員から選ばれるという仕組みの問題だと、青野さんは指摘する。
■反対議員をゆすり落とす「ヤシノミ作戦」を決行
国民の7割以上が選択的夫婦別姓に賛成しても、それでもまだ実現できない……。そこで、2020年の衆議院選挙前に、青野さんは「ヤシノミ作戦」と言う奇策に出た。選択的夫婦別姓に反対している国会議員のリストを作って公開し、有権者たちに地道に呼びかけていく。なぜ青野さんはヤシノミ作戦を実行しようと思ったのか。
ヤシノミ作戦では、選択的夫婦別姓に加えて、同性婚に反対する議員も併せてリストに挙げた。青野さんは同性婚の実現を求めて活動している人と、イベントなどで一緒になる機会も多かった。その中で、お互いに共感し合える部分が多かったこと、そして、日本の伝統的な家族像にこだわって反対しているメンツがほぼ同じだったことから、共同作戦という形をとった。しかし、それでも2021年の衆院選、2022年の参院選共に、結果はなかなか振るわなかった。
■「実現できると確信してる」青野さんがやり続ける理由
裁判に負けても、ヤシノミ作戦が成功しなくても、なぜ青野さんは諦めないのか。それは、「選択的夫婦別姓は必ずどこかで実現する」と確信しているからだと青野さんは言い切る。
周りから「青野さん、これは絶対勝てるゲームですよね」と声をかけられることもある。同じように実現を信じている人が世の中にたくさんいる。そして、署名やSNSを通して、賛同や応援してくれる人たちの声は、青野さんにとって1番の原動力になるという。
■ダメだと思う瞬間も、ハッピーエンドの道半ば
声をあげても何も変わらない。私が何をしても無駄なんじゃないか……。勇気を出してアクションを起こしても、なかなか変わらない社会に、無力感を覚えてしまうことも少なくない。そんな時こそ、青野さんは盛り上がるエンディングシーンをイメージしているのだそうだ。
もちろん早く変わるに越したことはない。それでも、1人1人の声が、勇気を出して踏み出した一歩が、確実に社会を変える力になっている。選択的夫婦別姓についても、これまでに活動してきた人たちの軌跡があって、青野さん自身もそのバトンを受け取った1人に過ぎないという。
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昭和の男・青野さんは、自分では古い価値観の人間と言いつつも、困っている人の声や改善を求める声には真摯に耳を傾け、常にアップデートを怠らない。サイボウズ社内でも、会議はいつもオープンで、若い社員からの苦言も受け止めながら、自らをチューニングし続けている姿が印象的だった。「選択的夫婦別姓の活動は今後も続けますか?」と聞かれた青野さんは、「諦める理由が見つからないんです」と笑う。
変化は確実に起こっている。少しずつでも、たとえそれが長い道のりだったとしても。その終わりには必ず、選択的夫婦別姓が実現するというゴールがある。勝利を確信しているリーダーを信じて、みんなで応援し続けていくことが、その日を1日も早く手繰り寄せるために1番の近道なのかもしれない。
<撮影 :宮本 七生>
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