適当加減が分からない。
noteを始めてから、何でも良いから投稿しようという、良い意味での適当さ(良い意味での適当さなんてあるのか?)が出てきました。
私は今、適当にパンに蜂蜜をかけて、適当につまんで食べていますが、これって危険な香りもしませんか?香りとはパンの香りではありませんよ。
適当にすることの危険さです。
私は、適当の加減、真面目の加減が分からない人です。
だから、仕事などでも、真面目にバカ丁寧に作業している時とかあります。それは作業している最中に思うのではなく、終わってからの周りの人の反応を見て思うのです。
「あー、ちゃんとやりすぎたかな」みたいな。
反対に、適当過ぎる時もあると思います。
人間ですから、めんどくささや嫌なことがあると、体が拒否の反応を出しますよね。
そんなことに取り組むときには、体が思うように動かなくて、適当さが滲み出てしまいます。
私の場合、字を書く時などは、適当加減を全開にしないと書いてられません。それでも、学校などでの習字の授業の時は、バカ丁寧に書いてました。
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適当加減とはすごく曖昧です。
そもそも、私の思う適当とは、乱雑を意味しています。
乱雑にしてしまったものを適当と呼んでいるだけなのだと。
しかし、本当は、乱雑と丁寧の間に適当は存在するのだと思います。
だとしたら、私の書く文章は乱雑になりつつある。そう自覚し始めました。
危険です。今すぐ逃げてください。
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