自分の特性について。

私は1度何かに囚われたらそこから身動きが取れなくなってしまうような癖があるので、朝起きてからの朝日を浴びるという行動に囚われ、今日の朝も外に出て日を浴びた。

のだけれど、湿気のヤバさと思っていた以上に日が強くて、圧倒された感覚が今、蘇ってきた。

日の光をここまでダイレクトに浴びて、それに圧倒される感覚になるのは、真夏の最中くらいだから、今年になって初の感覚になるのかもしれない。

夏が来るのだなと、心でも体でも頭でも思った。


今日は新しい、見たことのない言葉に出会った。

そのおかげで、自分では気づかなかったけど自分に大切なことを知れた。

例えば、私は、自分だけの軸というものがないことがコンプレックスにあって、そのせいでモヤモヤすることもある。

自分だけの軸がないこと、それが一般的なのかもしれないけど、あまりにもあっちにいったりこっちにいったりしている自分にイライラしているし、結果的に怒りの矛先が自分に向いていることは良いことだとは言えないから、このモヤモヤは嘘ではないのだろう。

共感性というのは、人の内面や外見にさえも共感の感覚を持つことだろう。

「あなたは共感性がある」と、そう言われれば、確かに私の周りにあるものに対しては全て、共感の感覚?があるような気もする。

それは人だけに限らず。

”匂い(Sumer)”
今日だったら、部屋の中に冷房の匂いがずっとあって、それだから余計に夏っぽさや、夏祭りの感じが勝手に、頭の中を駆け巡るのだろう。

外に出ると、イヤホンで聴いている音楽と、外のジメジメ、梅雨の始まりが共同しているのを感じたりする。


だから共感性が強いのか?となるけど、まだまだ私には分からない。

分からないで済ませるのは私の得意技でもあるから、とりあえず何かに自分を当てはめてみて違ったら次、という感じで先に進んで行こうと思う。


共感で言ったら、過去の思い出にどっぷり浸かるのも私かなと思う。
今、こうやってふとしたときに、過去に祖母と叔母と一緒に行った箱根温泉の思い出が蘇ってきてちょっとだけ、う〜となった。

その時は、自分が社会の動きに対して疲れやすかったり、周りの人の顔色の変化を伺ったりするのが日常的であるということを自覚していなく、旅行とは言え、自分の内面との葛藤がありながらの旅行だったから、旅行中も上の空という感じ。

祖母にも叔母にも迷惑をかけた旅行だったなとか思うと、胸が苦しくなる。


人に迷惑をかけたくないのに、人に迷惑と言う形じゃなくて何かしらの形を与えようとする。この矛盾で苦しい時がある。

それを今日、言語化してくれた記事に出会った。


迷惑をかけるというのは、本当に嫌なことという認識。
だから、私の中では最底辺にあるような言葉で、だから、何にも関与したくないという思考ゆえに、殻に閉じこもってしまう。

でも、殻に閉じこもってしまうことは本当に体に合わないというのも体が言っているから、本当なのだと思う。

とにかく、この矛盾って辛いもの。

これを逆エンパスと言うらしく、これを持つ人に興味があるし、これについて知りたいって思う。



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