朝から読んでもらうことが申し訳なくなるような記事。

私はどちらかというとモテない。
ただ、そのモテない対象は異性のみだと思ってる。

同性の人からは、どちらかというとモテる。
モテるっていう言い方はちょっと変なのは分かっているけど、話しかけてもらえたり、笑顔を見せてくれたりするっていう意味。

異性の人からは、そんなことない。

というのは、私から話しかけることもなければ笑顔で笑いかけることもないからだろう。

たぶん、手は冷たくて、それと同様に心も冷たい人間だと思われていると思う。

それが意識的にしているならまだ良い。
無意識にそうなるし、そうなっている自分に気付かされるしで、本当に困ったものだ。

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ここで電車の中でのあの話をするのは、良くないことかもしれないけど、例を出すとすると、あれしかないからあれで例える。
そのあれっていうのは、痴漢のことだけれど。

私は痴漢に遭ったことはない。

都会のど真ん中で、毎週電車に乗っていたことだってあるのに、そんなこと1回もない。

(こうやって話すこと自体良くないことって分かっていても、話しちゃうんだよなぁ…)


反対に、痴漢に遭ってしまう人はどんな人だろう。

たぶん、異性に対しての自分の振る舞いや、異性に対しての反応、その他諸々が、自分の納得いく自分である人なのかな。
要するに、人生ってもんを楽しんでいる人。

私がもし男だったら、女の子を存分に楽しんでいる人に話しかけたいし、絡みたいから。


でも、そんな人ばかりが痴漢に遭う訳ではないだろう。

楽しんでいなくたって、毎日が暗い真夜中を生きる人だって、痴漢に遭う人もいるだろう。

そんな人はどうして、そうなってしまうのだろうか。

きっと、感情があって、電車の中でも自分の感情とともに生きている人だと思った。

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どうして私が、痴漢に遭わないのか。

それは、感情を投げ捨てて、電車の中で息をしているからだと思う。

電車の中は人でいっぱいだ。

もう人は懲り懲りなんだと、朝起きて思ったにも関わらず、自分の意思に反して電車に乗っているものだから、そりゃ誰も近寄ろうなんて、思わない。


以前、電車が1時間くらい動かなくなり、ほぼ満員の中で待っていたことがあった。

その時、1人の男性が、床に倒れ込むように座り、顔色も悪かった。
隣にいた女性が、心配そうにしていて、その倒れ込んだ男性に水を渡した。


もし私の隣の人がそうなったとしても、私は水なんて渡せただろうか。もしかしたら、「大丈夫ですか?」と話しかけもしなかったかもしれない。

そのくらい、人はもう懲り懲りだと思いながら、自分の感情を捨てて、つり革を握っていた人間が私である。

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私がこの話をしようと思って、今こうやって書いているのは、ふと、有村架純さんのようには絶対になれないのが私だな。と思ったからだ。

そう、彼女のようにはなれない。

女性らしく、可憐で上品で。


でも、1つ強気になって言いたい。


女性らしさってなんですか?





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