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村上春樹「猫を棄てる」感想

もったいないと思いつつ夢中になり、小一時間で読み終えてしまった。

本書を例えるなら、世界的に名声を誇るシェフがこれまで作り出してきた数々の素晴らしい料理の隠し味を紹介したような本、とでも言えばよいか。

もしかして、あの作品のあの場面には、この時の思い出や考えが反映されているのかも!という発見や気づきが、次から次へと現れて、ページを読む手を止められなかった。

どちらかというと、村上作品をほとんど読んできた人の方が、そうでない人よりも楽しめる本だと思う。

もちろん、本書が初めての村上作品という方も、これから村上作品を読んでいく度に発見があるだろうから、それはそれでお薦めである。

さて、村上春樹全作品を読んできた自分にとって、村上父子の関係性については、あらかた想像できた。きっと疎遠なんだろうな、と。

それはその通りだったが、なぜ疎遠になったのか。その後、最期まで疎遠だったのか。和解はできたのか。そうしたプライベートが作家本人の言葉で語られている。

この本で初めて知ったのは、母が船場のお嬢さんだったこと、その母に許嫁がいたこと、京都のお寺の相続問題があったこと、そして父が3回徴兵されたこと。

その事実のどれか一つが、少しでも違う流れに向かっていたら、村上作品は世に誕生しなかったかもしれないし、そもそも村上春樹という人物が、この世に生を受けていなかったかもしれない。

春樹さんが、今回ここまで詳細に父のことを語ろうと思ったきっかけの一つは、南京大虐殺に父が関わっていたのではないかという懸念が、誤解に基づいたものだったと知ったことも大きいはずだ。

たしかに、その可能性が頭にある中で父の本を書くのは気が重過ぎたであろう。

忘れてはならないのは、そうした重さを引きずっている人が、今日もどこかに、けっこう身近なところにいる、ということである。

人は色々な背景を背負っている。いま50代〜70代くらいの方であれば、父や親族が戦争で酷いことをしてきたという業に苦しめられている人がけっこういるはずだ。

それより下の世代では、祖父が、ということもあるだろう。私の祖父も戦争について多くは語らなかったが、その子供である私の母親の様子からすると、人を殺めた経験があるような気がする。

さて、村上春樹の父は京都帝国大学出身であった。父は高学歴だったことで早期に兵役を免れたというエピソードが出てくるが本当だろうか。本書にもあるように、父の話と実際の入学記録の時期に違いがあるようなので、勉強に熱心でなかった春樹青年を戒めるための説話だったような気もする。

春樹青年は勉強が嫌いだったというが、早稲田大学に入るわけだから世間一般では頭が良くっていらっしゃる部類なわけで、学業への向き合い方で父と対立したところは、スルッと理解できない人もいるかもしれない。私もその一人だ。京大とまではいかなくても、早稲田で充分立派じゃん、高学歴じゃん、と思ってしまう。

春樹青年は勉強が嫌だったんではなくて、画一的な学校教育システムが嫌で反発した。そうした態度が父を刺激したのだろう。父は教師であったのだから、そのわだかまりは一層大きなものになったはずだ。

春樹青年が早稲田を留年しまくったのは、父への反抗だったのかな。そして、それでも卒業したのは、父への思いやりだったのかもしれない。

ずーっと疎遠で和解したのは春樹青年がもう60近くになってから。父親は90。

どちらも頑固です。

寺の相続を強く拒み続けた父と、父の期待を跳ね除けて、バー経営や作家業にのめり込んだ春樹青年。自分のやりたいことを頑として譲らなかった頑固さは、父子で似たもの同士である。

最後に和解できたのは幸せなこと。もっと早くに何とかならなかったものかとも思うが、私自身も父との関係を思うと、中々歩み寄れない気持ちも分かる。

偉大な作家が父との関係を詳細に記した本書は文学研究者にとって有益だろうが(「ねじまきクロニクル」「海辺のカフカ」「1Q84」等の論文で使われることでしょう)、著者の狙いとしては、著者の個人的な体験を通じて、読者一人一人が親との向き合い方、自分の命の来し方について考えてもらうことのような気がする(もちろん、春樹さんが自分自身のために書いた、というのは前提として)。

個人的作品でありながら、誰しもが持つ親という普遍的な存在について、少なくない時間思いを致すことになる。

読んで良かった。

追記。挿絵が素晴らしい。初出の雑誌には著者の子供時代の写真もあるらしいが、残念ながら本書にはない。見てみたい。