見方の枠組みの広がりの話

幼い頃、私は私が中心だった。

しかし、いつのころからか家族のことを考えるようになり、友達や先生、いとこのことも考えるようになった。

とはいっても、やはりまだ幼かった中学生の私。
話題にするのも、のぼるのも身近な事柄でしかない。

当時、私は大きな大会に毎年出場する部活に所属していて、そこが自分の枠組みに衝撃を与えることになった。

まず、入部当初の部訓は「そこに自分の居場所を作れ」。

それまでは田舎の一クラスだけの小学校で、居場所を作るなんて頭の片隅にも存在していなかった私には衝撃だった。

だってクラスでは居ればよかったし…

しかし、当たり前というか強豪校ゆえ部員も多く、日々の積み重ねで居場所をつくって自分のよさを伸ばしてアピールしないとメンバーに選ばれないのだ。

そんなふうにぼんやりしていた私は、なんか自分が思っていたより世界は大変そうだぞと思うようになった。

そして日々の記憶が曖昧になるほどしっかり励んだ私は、いつの間にか流れに流れて大学生になった。

その時自分は「そんなに頭が良い訳じゃないけど、入試通ったし、なんとなく根拠のない自信があるぞ!」という全く自分の持てる能力を弁えていなかった。

が、大学に通った人ならご存知のとおり、意味のわからないレベルの賢い人はいるのである。
しかも、顔も、人柄も、なにをとっても素晴らしいのだ。

神様は不公平だ、と思いながらもとりあえず頑張るしかないとこつこつ頑張った大学、社畜時代を経て、いろいろとんで、現在はかーちゃんとなった。

今となっては社会の厳しさもちょっとわかって、人の優しさも厳しさも、意地汚さも知った。

山上憶良の「憶良らは今は罷らむ子泣くらむ それその母も我を待つらむそ」の歌がジョークだろうとわかっていても

「え!?子どもさん大丈夫?奥さんワンオペってこと?もうええからええから!はよ帰ったげて!!」と実感を伴って言えるほどのかーちゃんにもなった。

まだ20代、これから先もいろいろな立場にたったり、考えの異なる人と出会ったりと様々な変化があるだろう。

その時その時に感じたこと考えたことへの心の柔軟さを忘れずに
深く広く心を耕していきながら今を積み重ねたいものだ。

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