【小説】夜をつくる人

この世界には沢山の職人がいる。
そば打ち職人、鍛冶職人、左官職人、挙げればきりがないが、生活に必要なものを作り出す職人は、この世界にとってなくてはならない存在だ。
しかし、この世にはもうひとつの職人社会があることをご存じだろうか。俗に言う職人が生活を回す職業を意味するのであれば、こちらは地球そのものを回していた。これは比喩ではない。その中の1人が私だ。

私は夜をつくる職人だ。
もちろん反対に、朝を作る職人がいれば星を光らせる職人もいる。前述の地球を自転させる職人は、フランスの代々続く一族が担っているらしい。職人社会にもヒエラルキーがあり、私たちのような夜職人はだいたいその真ん中あたりに位置している。一番下は確か、世の中に存在するムカデの数を調整する職人だ。あまり仲良くなれる気はしない。

夜職人は国に1人存在する。自転職人のような特別階級でない私たちは、だいたいが普通の会社で普通に働き生計を立てていた。仕事帰りの自宅で行う職人の仕事は、さながら内職のようなものだ。国によって文化も生活リズムも違うので、時差が生まれてしまうのも仕方がない。眠い目を擦りながら、部屋の真ん中に生えた2メートルほどの木からふわふわとした丸い綿をむしり取る。

夜の成分のほとんどは、目を覚ました人間が最初に思うこと。つまり「もうちょっと寝たい」という気持ちだ。
私たち夜職人は、この小さな木に無数に成った綿、もうちょっと寝たいという気持ちが具現化したこの綿を、ひとつひとつ丁寧に採取して、夜の製造機に詰め込むこと。製造機と言ってもそこまで立派なものではなく、実際はガラスでできた20cm四方の立方体のような見た目をしている。蓋を開けて、いつものように中に綿を放り込んだ。ガラスの見た目とは裏腹に、漆黒に広がる箱の中に、綿は小さな音を立てて溶けていった。

最後に忘れてはいけない工程がある。水やりだ。
この木は良質な夜の成分、すなわち「もうちょっと寝たい」を生み出しやすい人間とリンクしているのだ。枯れた葉を一枚ちぎる。その葉はよく見ると人の形をしていて、この木が人間の不眠で構成されていることを表していた。
そう、私はこの木に水をやることで、不眠という最高の素材を作り出している。だからこの水やりは、葉を一枚一枚そっと湿らすように、霧吹きで行うことが義務付けられていた。

ある日、いつものように仕事から帰り自室で寛いでいると、ふと、あるものが目についた。赤い綿だ。赤と言っても地の色があまりにも純白なので、ピンク色というのが正しいかもしれない。この赤い綿はたまにこの木に成ることがあった。先代の夜職人に教えてもらったことがある。これは、一睡もできなかった人間の「もっと寝たい」という気持ち。
人はいくら不眠と言えど、床に入って目を瞑っていれば自分でも気付かぬうちに眠れていることが多い。「一睡もできなかった」と感じても、実際は少しだけ眠れているものだ。そんな中、本当に一睡もできなかった人は強い気持ちから赤い綿を作り出す。

「ずいぶん小さいな」
綿の大きさはその人間の年齢を表していた。だいたいの綿は3センチ以上の大きさで、年齢にすると成人以上であることが多い。しかしこの赤い綿は、1センチにも満たない飴玉ほどの大きさだった。
枝によってだいたいの場所は特定できる。東京のはずれ。私が住んでいるところの近所か。
その日は特に考え込むこともなく、木の全面に霧吹きで丁寧に水を吹きかけた。

体調を崩した。頭痛と、喉の痛み。軽い風邪だろう。しかし私は日本で唯一の夜職人だ、風邪で寝込むわけにはいかなかった。近所の市立病院まで足を運ぶ。あまり体調を崩さないことが取り柄のひとつでもあった私は内科の場所がわからず、廊下で右往左往していた。廊下の窓からは秋の日が差し込んでいてぽかぽかと暖かい。端に設置されたベンチには背もたれに寄り掛かるように、小さな女の子が深く座っていた。よほど日差しが気持ちいいのか、目を閉じてゆらゆらと船を漕いでいる。

「あ」
女の子がぐらっと体勢を崩した。瞬間に私は女の子の肩を支えていた。軽く、消えてしまいそうな華奢な感覚。
「あ…ありがとう、おにいちゃん」
「いえいえ」
4歳くらいだろうか。ありがとう、とゆっくり言ったその女の子は、体勢を調整するとまたゆっくりと目を閉じた。
「ミコちゃん!ここにいたの!」
遠くから女性の声がする。エプロンをした看護師のような女性は、ミコちゃんと呼ばれた女の子に近づくと目の前でしゃがんでミコちゃんを優しくゆすった。
「病室戻ろうね」
「え~…」
看護師のような女性は近くで立ち尽くしていた私に気付くと会釈をした。
「この子、すごい不眠症で、ごめんなさいね」
「あ、いえ…」

「ほら、ベッドで寝よう?」
「いや!」
ミコちゃんが目を開けて大きな声を出す。
「だって、ねれないもん!ベッドこわいもん!」
私は女性に軽く会釈を返すと、その場を立ち去った。あの子か。詳しい事情はわからないが、あの年齢で一睡もできないのは、たぶん。

薬局で薬をもらって家に帰る。ベッドに腰かけると、目の前にちょうど赤い綿が見える。白いふわふわにまみれた、小さな赤。
ふう、と息をつくと、綿をひとつひとつむしり、大きなかごに入れていく。帰ってすぐ薬を飲んだので、頭痛は少し治まっていた。赤い綿を含むすべての綿を採取して、製造機に入れる作業に移る。
「だって、ねれないもん!」
頭の中で高い声が反芻する。あれはたぶん、私の仕事の成果だった。ガラスの蓋を閉めて、移動式のラックから霧吹きを取り出す。仕事は仕事だ、だけど。
私は赤い綿が付いていた場所の近くにある、小さな人型の葉を左手で覆うように隠し、霧吹きをかけた。



東京のはずれ、小児科病棟の広場で、1人の女の子が絵本を読んでいた。
飛び出す絵本なのだろう、開いたページの真ん中には、そびえ立つ大きな木がプリントされた2つ折りの厚紙が立ち上がっていた。その木の横には、霧吹きを持った男の絵。木にはたくさんの白い丸が描かれていて、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

女の子がページをめくると、最後の1ページが切り取られた跡。女の子はため息をついて、本を閉じる。午後八時の面会時間終了のチャイムが鳴った。本棚に絵本を戻し、病室に向かう。エプロンをした女性がベッドの上を整えていた。

布団を肩まで引き上げ、カーテンを開けて出ていこうとする女性に声をかける。
「ねえ、あの本、さいごどうなったのかなあ」
女性は少し考えたあと、ベッドの横の椅子に座って布団の位置を直しながら言う、
「どうかなあ…もしかしたら、すごく素敵な最後だったから、誰かがちぎって持っていっちゃったのかもね」
「そっかあ…」
女の子は、右手で目を擦る。
「なんか、ねむたい」
女性は少し目を丸くしたあと、笑顔で女の子のおでこを撫でると、おやすみなさい、と小さく言った。

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