【小説】花火師

コンクリートを打つ雨がキラキラと音を立ててまわった。タキはそのなかで歌い、踊りながら笑った。

俺の仕事はカタマリを地上に落とすことだ。そして跳ね返ってきたカタマリを回収すること。カタマリはすぐに跳ね返ってくることもあれば、100年くらい経ってから跳ね返ってくることもあった。忘れた頃に雲の隙間からぽーんと飛んでくるカタマリを、慌ててキャッチすることもある。

カタマリのことを人間は「命」と呼んだ。「タマシイ」と呼ばれる場合もあるらしいが、そんなことは俺に関係ない。今日も白いネル生地を使ってカタマリを念入りに磨くと、仕事場である雲間からそれを下に落とす。風を切って、雲を割って、くるくると落ちていく。

カタマリは地上を目指して落ちていくとき、甲高く黄色い声を出す。誰かが喜んでいるような、叫んでいるような声は耳心地がよく、カタマリが地面に当たって弾けるまで目と耳を凝らして見守るのが日課だった。そうこれは、地面に当たって、弾けるのだ。

この仕事を始めた頃の記憶はもう靄のように消えかけているが、カタマリが弾ける瞬間を初めて見たときの高揚感は今でもしっかりと覚えている。黄色い声が遠くなったかと思うと、ぱあんという破裂音とカラフルな光を放ってから一瞬で消えるのだ。その光の美しさは何にも代えがたい。星も月も太陽も、誰も彼もが敵わないと首を振るような美しさで弾けるカタマリは、忙しい毎日を確かに照らす唯一の光だった。

でも俺は、この光に似た光をたまに見ることがある。カタマリが弾ける瞬間の下位互換とでも言えるだろうか。それは、俺の担当する地域が「夏」と呼ばれる状態のときのことだった。

やけに地上が騒がしい夜。たしかあれはまだ仕事を始めたばかりで右も左もわからない頃、俺は上司に「まずは現場を知ることだな」なんて言われて地上を眺めていたときのことだ。いつもの夜とは違い、さわさわと鳴る喧騒が眠気を誘うようなそんな夜だった。育ったカタマリたちは同じような格好で地面に座り、何かの儀式でも待つかのように揃って上を向いていた。

ひゅーーーという空気の抜けるような音が当たりに響いた次の瞬間、俺の目の前でカタマリが弾けた。突然のことに尻餅をついて呆気に取られていると、とたんに辺りは火の匂いでいっぱいになり、咳が止まらなくなってしまった。なんだこれは。地上で弾けるはずのカタマリが、どうして。

上司の甲高い笑い声が降ってきた。見上げると俺を覗き込むようにして笑う上司がいた。
「びっくりした?」
「そりゃしますよ、なんですかあれ」
「あれはね」
花火って言うんだよ。上司の言葉を待たずに次の花火が目の前で弾けた。花火。

そのあと上司と話してわかったことだが、俺の担当する地域では夏を祝うためにこうして花火を打ち上げるらしい。おかしな話だ。カタマリは、自分が生まれた瞬間と同じような光景を、自分たちの手で作り出したのだ。誰一人としてそれを見たことがないはずなのに。そしてその花火を、自分たちが跳ね返る空に向けて打ち上げるのだ。無知とは滑稽なことだと思う。それにやっぱり、少し煙い。


今日のカタマリは異常に重たく、いびつな形をしていた。上司に渡されたときはその重さに危うく手を滑らせて落としてしまうところだった。まだだ。俺は作業服のポケットからネル生地を取り出すと、そのカタマリを念入りに磨いた。

あれ。そのカタマリはやっぱりおかしかった。磨けば磨くほど、汚くなっていったからだ。まるでネル生地に触れられることを嫌がるかのように、磨いたところから深緑色の染みが広がる。俺は途中で面倒になり、上司の目を盗むといつもの雲間からカタマリを下に向かって落とした。

俺の手をするりと離れたそれは、黄色い声を上げて下へ下へと落ちていった。くるくると回りながら風を切るそれを見守る。俺は首を傾げてしまった。一瞬だがその黄色い声が、まるで歌のように聞こえたからだ。まあでも、気のせいだろう。いつものように目と耳を凝らしながら、カタマリが地上で弾ける瞬間を待った。

そのうちそれは軌道を変え、汚ならしい建物が密集した地域に落ちていった。あーあ、可哀想に。そう思った瞬間だった。

ぱあん!と高い音とともに光が散った。目が離せなかった。その光景は今まで見てきたものとはまったく違っていた。何色と言えばいいんだろう。世界中の言葉を凝縮したように思慮深く、跳ね返り際のカタマリに道を譲るように謙虚に、それでいて世界が終わるかのように大きく美しく弾けたのだ。

綺麗だった。今まで作業として完結していたそれに、こんなに強く感情を揺さぶられることはなかった。どうしてだろう。弾けたあとに残るラメのような余韻から、まだ目を離せないでいた。

それからというもの、俺の生活には仕事の他に、地上を覗くことが追加された。様子のおかしなカタマリは汚ならしい街の中、辺りを照らす光のように大きくなった。そして周りはみんな、そのカタマリに夢中になった。

口の端を上げれば喜ばれ、ひっくり返っては祝われて、二本の足で歩いたときなんて、周りは涙を流して嬉しがった。そのカタマリは俺の手を離れたときと同じく、歌うように育っていった。そのうちそのカタマリは「タキ」と呼ばれるようになった。

タキは傘をさすことが好きだった。雨雲製造工場が繁忙期を迎える頃、タキは嬉しそうに紺色の傘をさすと、雨に濡れることもお構いなしに踊りを踊った。夕立はそれを祝うかのようにコンクリートに跳ね返ると、キラキラと回った。切れかけた街灯はまだらなリズムを刻み、タキが着ていたロングスカートは鳴らない音楽で膨らんだ。

毎日、毎日タキを見ていた。タキの顔は傘に隠れてあまり見えなかったが、泣いて、怒って、笑って、忙しない毎日を送っているようだった。そのうちタキの前に、ひとつのカタマリが現れた。タキはそのカタマリとともに、やっぱり泣いて、怒って、笑って、忙しない毎日を送っていた。そのカタマリは、花火をつくる仕事をしているらしい。

雲が少しばかり膨れたところを枕にして横になる。いつ新規の仕事が入るかわからないため仮眠くらいしかできないが、目を閉じると当たり前のようにタキの姿が浮かんだ。俺はこの時間が本当に好きだった。目を閉じて見るタキの表情は現実以上にわからなかったが、そんなことはなんでもよかった。タキがここにいることが嬉しくてたまらなかった。昔図書館でカタマリの感情についての本を読んだことがある。だいたいのカタマリは苦しみでできていて、それを上書きするように感情を持つ。俺のこの状態は、たしか。

ぱあん!と近くで音がなった。目を開けると、うっすらとした煙越しにぼやけた星が瞬いている。もう夏が来たのか。いや、つい最近雪を降らせたばかりだからそんなはずはない。煙が落ち着いた頃を見計らって、雲間から顔を出した。地上ではタキと、花火をつくるカタマリが二人でこちらを見上げていた。いつもの紺色の傘は閉じられて、タキの横に置かれていた。

ぱあん!
二回目の花火が俺の目の前で弾けた。花火越しにタキが笑う。そうか、こんな顔をして笑うのか。横にいたカタマリがタキに何かを言った。タキは俺の方から視線を外してカタマリを見ると、本当に嬉しそうな顔で返事をした。俺の目の前で花火が等間隔に弾け続ける。タキはもう一度俺の方を見ると、キレイ、と口を動かしてやっぱり笑った。タキの丸い瞳に移る花火は、タキが生まれたときと同じくらいキレイだった。

「順番だよ」
後ろを振り向くと、白い服を着た小さな子供がいた。俺の身体はゆっくりと宙に浮き、そのうちくるくると回り始めた。いつの間にか俺は、あたたかいひとつのカタマリになっていた。


今日もいくつものカタマリが落とされる。風を切って、雲を割って。
「こんにちは」
地上で小さく弾けた俺は、タキに抱かれ、タキを見ていた。

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