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観劇のススメ・東京演劇道場「赤鬼」

東京芸術劇場のYouTubeチャンネル・芸劇チャンネルで、野田秀樹率いる東京演劇道場による公演「赤鬼」を観た。配信は期間限定12月7日17時まで。観られた方は幸運!

巻き戻しの利く愛

 野田芝居を初めて観たのは高校生の時だった。演劇部の先輩から、夢の遊民社「半神」のテレビ放送のビデオを貸してもらったのが最初だったと思う。そこから立て続けに「贋作・桜の森の満開の下」、NODA・MAP「キル」「半神」「パンドラの鐘」をビデオで観た。何度も観た。どハマりした。ちなみに、大学生になって初めて自分でチケットを買って観たのは新国立劇場公演「贋作・桜の森の満開の下」だったし、コロナ禍で自粛する前の最後の観劇も「Q」だった。

 最初の出合いがビデオだったことは、幸運だと思っている。なぜか。それは、巻き戻しができるからだ。

 私の思う野田芝居の特徴は、台詞に散りばめられた言葉遊び、まくし立てるような早口の台詞回し、ダジャレだと笑って聞き流した単語こそが物語の核心とタネ明かし、そこから一気にシリアスに畳みかけて最後に問題提起して終わり、という感じ(無駄に脚韻を踏んでみた)。
 型が大体決まっているから先が読めてしまうとも言えるけれど、水戸黄門的なお決まりの展開をずっとたのしめるタイプなら何作観てもたのしいと思う。もはや伝統芸能の域である。ただし台詞がものすごく早いから、本当に水戸黄門好きな人には聞き取れないかもしれない。もし聞き取れなければ、展開の早さに置いてけぼりを食らって客席ではポカンとするしかなくなるだろう。

 というわけで、聞き取れなかったところや聞き逃したところを何度も何度も巻き戻して確認しつつ観る、という方法を最初の段階でとれたのは、野田芝居に慣れる意味では幸運だったと思っている。ビデオ様さまだ。

DOJOってなあに?

 前置きが長くなった。「赤鬼」の話をしよう。
 東京演劇道場(以下、DOJO)は、東京芸術劇場の芸術監督を務める野田秀樹氏の指揮のもと、「舞台役者が集う修行の場」として2018年に発足した。同年末に経験・年齢・性別不問で道場生を募集。応募総数は約1,700通。書類選考で300名に絞った候補者からオーディションで60名あまりを選出した、らしい。
 実は私も1,700通の中に入ってはいたのだが、300名にすら入れなかった。まあ予想はしてたけどさー。野田さんのワークショップ参加してみたかったよぅ、よよよ(泣)。
 つまり、「赤鬼」はDOJOの活動の成果報告といえる。A〜Dまで4つあるうちの1チームだけとはいえ、YouTubeで期間限定無料配信! なんて大盤振る舞いをしてくれるのは、短い公演期間中に観に来られなかった人にも広く観てもらいたいという想いがあるからだろう。

 このような事前情報により、大変失礼ながらあまり期待はしていなかった。うーん、要は発表会でしょ? 「赤鬼」は未見だし、いつかまた本公演がある時まで観るのを待つって手もあるよな。でもDOJOがどんな感じなのか覗くことはできるよね。いやでも、野田さん出ないしなー。そんな考えが脳内をぐるぐるした。そのせいで、配信終了間際に慌てて観るという体たらく。
 けれども結論は「観てよかった」、この一言に尽きる。

 以下、ずいぶんと上から目線な感想を書き散らして申し訳ないのだが、道場生になれなかった者の妬み僻みと思ってご笑覧いただけることを願っている。※ネタバレなし

感想・言いたい放題

 冒頭、生活廃材を鳴らして音を作るシーンでは「なんか高校演劇っぽい手作り感満載だわー」と感じてしまった。全方位に客席のある舞台構造と感染防止策で客席を減らしたせい、あるいは幕が上がった高揚感に任せて喋るせいか役者の声が割れて台詞が聞き取れず「みんなやたら怒鳴ってんなー」と感じてしまったのも残念な点だった。もしも、まったく知らない劇団のまったく知らない芝居であれば、この最初の十分ほどで観るのをやめていたかもしれない。だって動画は巻き戻して何度も見られるだけでなく、いともたやすく停止ボタンを押せるのだから。

 それでも私は野田作品の言葉遊びが大好きだから、「あ、あれは人じゃない!」「お前だって人でなしだろ〜」という掛け合いや、「水をくれ」を「水ぶくれ」に聞き間違ってさらに「シルブプレ」に聞き間違えてからの「鬼の言葉でクビククレよ!」にすり替わる噂話のシーンだけで大興奮だった。そうそうこれよこれ! あ〜もうちょい聞き取りやすい発声しておくれよーと思いながら何度か巻き戻して確認したけれど。
 これは私の勝手な想像でしかないのだが、台詞の聞き取りづらさの原因は、経験の少ない役者ばかりで芝居を作ったせい、というのもあるのではないか。
 最近のNODA・MAP本公演では、二十代前半くらいの若い役者を積極的に起用している。ほとんどが初舞台だ。そして、橋爪功さんや銀粉蝶さんなど大ベテランの舞台俳優たちが脇を固めるのが定番だ。ベテランはすごい。内緒話のささやき声であろうともきちんと台詞が聞き取れる。明らかに発声方法が違う。
 もしかしたら、野田芝居で初舞台を踏む若者たちは、ベテランとの稽古を通して発声の何たるかを身をもって学ぶのかもしれない。そう仮定してみると、DOJOの役者たちの声が聞き取りづらい原因はベテランの不在にもある、と思えてしまうのだ。

 ところが、ミズカネが登場すると空気が変わる気がする。なぜだろうと思いながらもそのまま最後まで観た。エンドロールでは、役者の名前の後に(客演)とついている。そうか、彼は道場生ではないのか。
 調べてみると、ミズカネ役の河内大和さんは、カクシンハン所属の役者だった。私の不勉強で、シェイクスピア作品を多数上演する劇団という認識程度しかなくて申し訳ないのだが、なるほど、一人だけ存在感が違うわけだ。大ベテランというには若すぎるけれど、彼がこの芝居の土台を担っていたのはたしかだろう。
 ミズカネ登場から二つくらい先の場面、あの女の「他所から来たっていう理由だけで、人は人を嫌いになれるもんなんだよ」という台詞もよかった。これは「赤鬼」のテーマを表す台詞だ。流してはいけないけれど重くなりすぎてもいけない。後から思い出されて響く、という感じがベストだと思うのだがとてもよいシーンだったと思う。
 そしてこの辺りから、役者全員の芝居の雰囲気が変わり始める。怒鳴っているだけに聞こえていた台詞が聞き取りやすくなる、徐々に。物語が動き始めたからでしょと言われれば、まあその通りなのだが、走ってしまった演奏をメインボーカルである“あの女”が、あるべきテンポへうまいこと誘導したように見えた。
 私は思った。「お、変わったな」と。

変われることのおもしろさ

 私にとっての演劇の魅力とは「人が変わる瞬間を目撃できること」にある。
 人間は変化する(できる)生き物だ。でもその変化は、「ねえねえエトンちゃん、最近きれいになったよねーもしかして彼氏できたー?」という感じで大抵は、“起こった後に気がつくもの”だ。人が変化する瞬間は、実はほとんど見ることができないのだ。
 ところが演技というのは、演出家の指示や他の役者からのダメ出し、観客の反応や照明の具合、音の入り方などいろんなことをきっかけとして、さっきまで見ていたものとはガラリと変わる時がある。人が変化する瞬間を目の前で見られる、そんな奇跡が起こるのが演劇なのだ。

 さて、物語が動き出してしまえば一気に引き込まれるからあとは身を任せるだけでいい。私は、本公演を観るのと同じように泣いたり笑ったりしながら、道場生たちの作る「赤鬼」という芝居をたのしんだ。うん、なんだかんだ言ったけど、やっぱ観てよかったわ(負け惜しみ)。

風前の灯に手を

 2020年は新型コロナウイルス感染症が拡大して、生活のあらゆる場面で制限が増えた。劇場でもたくさんの公演が中止になったし、公演が行なわれても感染防止対策で雁字搦めになっている。私はというと、基礎疾患に該当する病気の治療をしているため、劇場に足を運ぶことさえ自粛している有様だ。
 そんななか、動画配信で芝居が観られることはとてもありがたい。ありがたいのだが、やっぱり私は生の舞台が観たい。人が変化する様を目の前で見たい。

 だからこそ、劇場にも役者にもスタッフにも、コロナ禍が収まるまで、私でも安心して劇場へ足を運べるようになるまで、元気でいてほしいと願う。そのために私には何ができるだろうか。お金を払って配信で観劇することももちろん役に立つだろう。でも、受け身ばかりはつまらないよね。

 そんなわけで、芝居を観たらnoteに感想を書いていこうと思う。私も演劇を応援しているよと表明するために。
 風前の灯だって、一人の手では守れなくても、たくさんの手をかざしたら守れるかもしれない。野田さんは「劇場の灯を消すな」と言った。だから私も、微力ながら手を差し出してみようと思うんだ。

褒められて伸びる子です。 というか、伸びたい。