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大学中退して、演劇をやり続けた男の末路。

年収はいくらなのか?

2019年から2022年までは、

結論5〜20万円。

私が、副業俳優を語ることについての経歴を少々。

私は、20歳で大学を辞めて、俳優の養成所学校に通った。

理由は、大学を辞めたかったからである。
(ここでは大学を辞めたかっま理由は割愛します)

養成所学校に通ったのは、大学を辞めた後の次の行動を親に伝えなければならなかったことと、

養成所なら、バイト資金で賄えるという、

安易な計算だった。

養成所は、舞台公演を中心に演劇を学ぶことになった。

これが、私にハマったのである。

演劇、舞台公演が楽しくて仕方なかった。

いつしか養成所内で、三谷幸喜さんみたく、面白い脚本を書ける人間がいないか、

探し回るようになった。

当たり前だが、見つかる訳もなく、

仕方なく自分で書き始めた。

物書きの真似事をし始めると世界が変わった。

テレビ一つも、映画の見方も一つずつ変わっていった。

世にも公表されてない処女作品を書き上げた時は、嬉しくって仕方なかったが、読み直したら、

当時好きだった、バイト先の女の子を純愛ベースに書き上げた顔から火が出るような作品だった。

誰にも魅せることなく、即削除できたことが、

後に劇団を立ち上げられたことだと思う。

あんな作品をみせたら、仲間は誰も集まらない。笑

書く才能がないことに気づけたことが大きかった。

ただ、役者、俳優のモチベーションを上げることは、わかっていた。

一つの作品に、自分という役者としての色がなければ、この作品は成り立たないと、錯覚させることだ。

魅せ場を作ってあげれば、尚良し。

脚本を書くおかげで気づいたことだ。

自身が、役者希望だったので、俳優たちの気持ちがよくわかったから、そこを突いて、劇団として舞台公演を作り続けた。

気がついたら、劇団は10周年を迎えた。

メンバーは、多少入れ替わったが、

ありがたいことに、初期メンバーは多く残ってた。

芸能人さんとの共演する舞台もやれた、

ローカルドラマの出演もするようになった。

映画にも出演した。役付きは一回だけだけど。

だが、12ヶ月連続公演をやったりと、無茶も多分にこなしたので、

心身の疲弊と金銭的悩みが爆発しかけていた。

いや、していた。

劇団の伏目の10周年公演を境目に

私は、劇団から離れた。

離れざるえないくらいに自身の生活が回らなくなっていった。

メジャーで活躍する大谷翔平選手のように全てをやりたいことに、演劇に注いだかと言えば、そうではない。

ただ、自身の中で努力し続けた自負もあった。

だが、父親からの一言で、

気を張ってたものが、崩れさった。

若い頃は気にもしなかった一言が30中盤になって胸に突き刺さった。

演劇講師の仕事も貰えるようになったが、とてもじゃないが、一本立ちできるほどの収入ではない。

他にもバイトを掛け持ちしてて、何とか自転車操業をしながら、借金のやりくりをしていた。

その日は、演劇講師の仕事で家を出る時だった。

親父が言った。

「生徒さんに、お前のような人生送らせんようになっ。」

震えた。

普段、温厚な父親がボソリと言った一言。

返事を返すこともできなかった。

消費者金融の連絡は家には、いってないはず。

そんな、動揺をよそに、車に乗り込んだ。

車のルームミラーに映る自分をみて、

酷い顔だった。

これが俳優?

これが脚本家?演出家?

私は、私は今までの生きる人生の証明を、

頑なに守り続けたモノを、

捨ててしまったのだ。

同世代の多くは演劇活動をやめてしまった。

だが、昨今のコロナ禍でも、

闘い続けた男たちはいる。

私は、幸いにも続けてくれたメンバーがいて、私の書いた過去作品を使ってくれたから収入を得ることができて、

年に1回、ドラマのチームが誘って頂けるおかげで、収入を得ることができている。

決して、多くはないが、

微々たるものかもしれないが、

この収入は私にとって精神的に大きな財産である。

そして、昨年から舞台活動がほんとに少しながら、再開できた。

私のことを知らないこのnoteの世界で、

私だけの本音を、

これからの演劇活動を綴っていければ、

と思ってます。




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