シンプルな仕事がいい

シンプルな仕事がいい。
自分がする仕事のことを考える時、そう思う。

あまり複雑な作業はしたくない。
なるべくシンプルな作業がいい。

この年齢になるとそう思ってしまう。
シンプルな仕事ってなんだろう。

いわゆる単純作業のことだが、肉体労働は自分には向いていない。しかも意外と頭を使う。
営業や管理のような人との折衝や交渉、人とコミュニケーションを多くする仕事もあまり好きではない。
だとすると、事務作業やIT系だろうか。しかし坐っているからといって単純な作業ではない。他の仕事と同様に知識や技能が必要だ。

シンプルな仕事ってなんだろう。複雑な計算や力の必要な作業はコンピューターや機械に任せておいて、人間にしか出来ない作業のことだろうか。マニュアルが整備されていれば誰もが同じ結果を出せる作業。細かい法律や制度、仕組みを必要とせずに少ない労力で出来る作業。時には肉体の力を使うこともあるが誰もが出来る作業。
時には自分の興味で奥深く調べたり、向上心が芽生えれば長い時間でも頑張れる作業のことだろうか。

ところで海外に目を向けると日本よりも転職率が高いように思う。そして離職してもすぐに再就職できている印象も強い。今まで観てきたアメリカやヨーロッパ等の映画のビジネスシーン等でもその印象は強かった。過去に仕事で海外の現地の人と関わった時にも同様に思った。
ただし、現在の世界情勢では各国の経済状況も厳しいので昔と比べれば内容も変化しているかもしれない。

自分が注目しているのは、能力のある人が高い給与や評価を求めて転職しているケースではない。一般的な普通の社員の転職の場合だ。転職理由は様々だと思うのだが、なぜ再就職しやすいのだろう。海外の文化的な背景もあるかもしれないが、実務的には企業側の新規採用者への教育や作業の説明が少なく済んでいるのだろう。作業の標準化が進んでいると思われる。そうしなければ企業側の入社社員への再教育への負担も大きくなってしまう。

これは一つの企業だけでなく、他の企業でも似たような標準化された仕組みがあるのだろう。
だから人が辞めて新しい人が入ってきても、その分野の仕事に関しては標準化が進んでいるので、前職で似た仕事を経験していれば、新しい職場でもすんなりと仕事を覚えやすい。
また、海外は離職率が高いので日本のような家的な親密な人間関係を強引に求めることもないのだろう。これも国や企業や職場によってケースバイケースだが、働く人たちの国籍や宗教も様々なのでパーティー等への参加は日本よりも自由参加の流れが強いと思われる。

シンプルな仕事。極端な例え方をすると、積み木を積み上げるだけの作業、ボトルを閉めたりするだけの作業。自分が言いたいのは、特殊なやり方を必要とせず、多くの仕事を抱えこまないということ。20年前の就職氷河期の影響で現在まで就職できずにいる人、それ以外の理由でずっと家にいる人、仕事をしているが仕事がやりにくいと思っている人。そういった人達にとってもシンプルな仕事は魅力的だろう。ハンデのある人でもとりあえず働き始める第一歩になるのではないだろうか。
最先端科学の開発や研究、あらゆる種類の専門職は社会に必要であるのだが、一方でそこに従事していない一部の人達にとっては複雑な仕事よりもシンプルな作業が良い。仕事で一日が疲れ切ってしまうのではなく、日々の家庭や自分の趣味にもエネルギーを注ぎたいのだ。

でもシンプルな仕事って何だろう。具体的に考えるとやっぱり分からない。もし今仕事があれば、今ある仕事をなるべくシンプルにこなす事だろうか。それが一番良いことなのかもしれない。それによって生まれた余裕で少しでも自分の時間を楽しむ。もちろん時には必要な残業だってある。そこは柔軟に対応しなければ。

やりがいのある仕事。そんな言葉が頭に浮かんだ。それは仕事の内容で決まるのではなく働き方で決まる一面もあるのかもしれない。なんだろうなぁ~シンプルな仕事って。思いつくままに書いているのだが、なかなか思い浮かばないな。
働くって何だろう。そういえば会社を辞めてから一度も失業保険を受給しなかったな。しばらく休みたい気持ちが強かったのと、そもそも働きたいという意欲がほとんど湧かなかったんだよな。だからハローワークに手続きに行く気力も起きなかったのだ。
給与から天引きされて20年近く払い続けた雇用保険料はいったい何だったのだろう。結局、自分のために使わずに終わってしまった。そのお金は他の失業して困っている人の役には立っているのだから良しとするか。
今まで働いてきた意味は何だったのだろうかと思ってしまう。自分にとって正しい働き方だったのだろうか。

ここで80年代の一般的なアメリカ映画のワンシーンを思い出した。脇役と思われる2人組が登場する。一人は街中で車を止めてファーストフードを運転席で食べている。そして外にいる知人に話しかける。いずれも仕事で休憩中?の設定だ。
おーいボブ、最近調子はどうだい?おおビル、ここ最近は調子がいいよ。そういえばこの前こんなことがあってよぉ・・・と会話が続いてゆく。
このような、のんびりした仕事中の雰囲気は好きだ。仕事中なのに随分のんびりしているなぁとの印象を受けるのだが、人生楽しそうだなと思う。仕事をしながらでも心の余裕があるのって良いよなぁって思う。それにしても、この脇役で登場する2人組は何の仕事をしているのだろう(笑)。
だから海外の仕事は時々、日本と比較すると適当なことが多いのだよなぁ~と思ってしまう(笑)。

さて、具体的な金銭面の事を考えてみようと思う。一般的なモデルケースとして4人家族の場合、毎月の給与で手取りで20万~25万円は最低でも必要だろう。総支給にすると30万~35万円ということだ。税金で10万円近く控除されてしまうから。これで何とか日々の生活を送れるが貯金は難しい。
最近の調査では40代~50代の30%~40%は貯金が出来ていないという。周りの消費者に影響されて自分達も同じようにお金を使ってしまうという原因も一つだが、それだけではないだろう。普通に暮らしていてもかなりの額のお金は出ていく。

だから自分も貯金をするという考えは諦めた。とても無理だろうな。日々のお金が無いのにどうやって貯金をするというのだろう。なんとか日々の生活を送れるだけでも感謝だ。1日、1日を無事に送れたことに感謝できるというのも良い。今日必要なお金がある事に感謝する。でも明日にはお金が底をつくかもしれない。全くお金が無い期間もある。
イメージとしてはネイティブアメリカンなどの昔の何とか族の人々、昔の日本の人々の原始的な生活を思い起こしてしまった。
さすがに今となっては山の中で修験者のように節約生活をしたいとは思わない。普通に生活できれば良いのだ。

そういえば最近はアウトドア生活、キャンプ生活も流行している。それはもしかしたら、人類が大量消費社会から原始的な生活をする社会へと移行する準備期間なのかもしれないな。少なくとも自分を含めた一部の人達にとっては。普通の生活の中に原始的な生活の良い面を取り入れる。そんなことを思ってしまった。お金がなくても生活できる方法ってあるのだろうか。
時としてお金の無い生活は子供にとっても良い教育になる。うちの場合はお金のある時の生活しか知らないので、お金の大切さを教えるには良い機会だと思っている。ただし、この考え方も少し古いかもしれない。不足や節約の考え方よりも、必要な時に必要なだけお金が巡ってくるという考え方のほうが最近の考え方に合っているのかもしれない。

これからも自分の時間を大切にしながら働く事について考えてみようかな。今日はつれづれなるままに書き綴ってみた。
シンプルな仕事って何だろうか。
やはり内側の思考が大切になってくるのかもな。


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