政治やリーダー論など。そして音楽

前回の記事の終わりに書いたとおり、最近は何かと忙しく久しぶりの投稿となった。今後もこの傾向は続くだろう。
それでも書いてみようかなと思う内容は定期的に頭の中に訪れているので、今日になって書いてみることにした。
今回はなるべく手短に書いてみようと思う。

今回のテーマは題名のとおりだが、その理由は最近のオリンピックなどの話題が自分の中で影響しているからだと思っている。
結局、最終的に物事は決定される。する、しない、YES、NO。合議制のような複数人で決定される形式でも、1人の強いリーダーシップで決定される形でも、最終的には誰かによって決定される。

これから話すことは、それがポジティブだとかネガティブ、もしくは良い、悪いの話ではない。
日本では海外と比較して強いリーダーが育ちにくいと言われている。少なくとも今まではそう言われていたと思う。それ自体は良いとも悪いとも思わないのだが、日本の場合、リーダーになりたい人、なる人というのは一般的に以下のようなイメージが強い。
・学生時代に生徒会やクラスの学級委員などのメンバーに積極的に立候補していた、もしくは推薦されていた。
・同じく部活で部長などに立候補、もしくは投票された。
・PTAや町内会、選挙などに立候補する。
・会社でリーダーや役職者になる。
こうした人達はどこの国でも一定数いると思われる。基本的に自ら立候補、もしくはそれに近い形で選ばれた人達だ。
さて、問題はそれ以外の人達だ。本人が希望していないのに不本意ながら多数決で、もしくは周りから強く推薦されて泣く泣くそのポジションについてしまったという人もいるだろう。もしくは、トップに近いポジションにいるから、いつかはリーダーのようなポジションに就くかもしれないという人達。そのポジションの階級は関係ない。
自分が現在、そういう立場にいる訳ではないが、過去にはビジネス書や会社のセミナーなどでリーダーに求められる内容などについて教わった記憶がある。しかし、ひとつとして具体的な内容を思い出せない。
もう何年も前から、様々な組織における日本のリーダーってどういう人が理想なのだろうと、たびたび考えていた。そして、もし自分がやりたくもないリーダー的な立場になってしまったどうしようかとも考えていた。学生時代には、自分が所属していたとある組織でそういう立場になってしまった事がある。それは投票によって決まってしまったのだ。まさか自分がなるとは予想していなかったので、それ以降の学生時代の1年は精神的につらい日々であった。今から思えば大した事はしていなかったのだが、当時の自分にとっては嫌で嫌でたまらなかったのだ。暗黒の日々だったと言っても過言ではない。

そのように年齢を問わず予期せずにリーダーになってしまった人、または立候補してみずからリーダーになった人、どちらにも共通してリーダーになった時の理想の心の状態とは何か?
それは自分の場合はビジネス書やセミナーでは答えは見つからなかった。答えと言うには大げさかもしれないが、一番感銘を受けた言葉は意外にも映画からだった。
その映画とは自分の記憶違いでなければ 「世界侵略/ロサンゼルス決戦」。

↑ 映画『世界侵略:ロサンゼルス決戦』予告編 シネマトゥデイのチャンネル ↑

地球を侵略する未知の生物との戦争映画であり、テレビでも何度か放送された事がある。え、こんなアクション映画で?と思うかもしれない。しかし、自分が一番ハッとさせられた言葉は次の言葉であった。
リーダーは、たとえその選択が間違っていたとしても決断しなければいけないのです
部下達を死なせるという過去のつらい経験から退役願いを出していた軍曹が、突如ロサンゼルスを襲撃してきた敵に挑むことになった経験の浅い少尉に対して、緊迫した戦場の中で言った言葉だ(自分の記憶が正しければ)。
どれだけ熟考しても選択を間違えることはある。熟考する暇もない時だってあるだろう。そうした際に、何かを最終的に決断しなければいけない人がいる。そんな時に上記のセリフを受け入れられる土壌が国民に、あるいは組織に整えられていれば、どれだけ安心だろうか。
いまいち誰が決断したのか曖昧になっている構造の組織もあるようだし、はっきりと責任者が明確になっている組織もある。自分はどちらが良いとか悪いとかは分からない。国民性や、その組織の特徴などによって、そのほうが向いている、効率が良いという事もあるのかもしれない。
ただ、誰がリーダーになっても上記のセリフの精神を皆が共有していれば、リーダーを務めやすくなるのではないだろうか。周りからリーダーに対して文句を言うのは簡単だ。しかし、リーダーも相当いろいろと考えているはずなのだ。
特に日本の政治のリーダーになる場合は、国民から様々な意見が出るのでまとめるのが大変だろう。そして、その政治家達のレベルを私達が批判する時、それは自分達、国民自身の政治レベルを批判しているのと同じことなのだ。選挙で選ばれるというのは国民の代表として選ばれるという制度であり、私達国民の中から選ばれる。私達国民という土壌から選出されるのだ。選ばれた人達のレベルが低いと批判する時、それは土壌となっている私達自身のレベルが低いと言っているのと同じ事なのだ。
政治も結局のところ私達一人一人の意識の反映なのだ。建設的な批判をすること自体は悪いとは思わないのだが、上記の事を知っておいた上で批判すべきだと思う。悪意を持って国民を騙して逮捕された場合などは問題外だが、政治の政策などで結果的に失敗しても、それが全力で取り組んだ結果であるなら仕方がないと思う。ちなみに今の政治のレベルが低いと批判しているというのは仮の話であり、自分の身近にそのような人達がいるわけではない。
だからと言って、国民全員が政治に関心を持ってもっと土壌を良くしろとは言わない。政治に関心の無い人だっている。自分だってそれほど関心があるほうではない。それは強制されるものではないのだと思う。国民性もあるのかもしれない。ただし、無関心な人が多ければ多いほど政治の代表メンバーは狭い土壌の中から選出された人達で埋まってしまうだろう。そして無関心な人達は政治に対して文句を言うことは出来ない。そういう事になってしまう。もちろん、政治に対しては昔からの「権力と金」という悪いイメージが定着してしまって、政治に対して関心を失っている人達も多くいるのだろう。

こういう状況の中、せめて誰がトップになってもその人が決断した結果に対して上記のセリフの精神を我々が共有していれば、その決断をした人のメンタル面も少しは軽くなるだろうし、次に代わりにリーダーになりたいという人も出てきやすくなるだろう。もちろん、結果に対する建設的な批判は良いと思う。例外を除き、人格を否定するようなことは的外れであり、もっての他だが。そういう事をしているとリーダー立候補者の数が少なくなってしまう。
誰がトップになっても、任期を終えた時はお疲れ様でしたと拍手で労う事が必要だろう。そして、また新しい人が担当すれば良いのだ。

理由は分からないが、今日はこんな事を書きたくなってしまった。とりとめのない話になってしまったかもしれないが、最後は今の気分でミュージックビデオを。

↑ AAA / 「Wake up!」Music Video avex ↑

メンバーがこれだけいれば、人それぞれ、いろいろな事がある。人生長く生きていれば楽しい事やつらい事もある。全員にとって予測不能な事もね。でもそれは人間であることの証明であるとも思う。人生でどんなにつらい事が起きても、人はそれでも生きていけると思う。どんな形でもやり直せるし、いくらでも創造し直せる。

↑ GENERATIONS from EXILE TRIBE / Hard Knock Days GENERATIONS from EXILE TRIBE ↑

↑ 超絶☆ダイナミック! - 吉井和哉 日本コロムビア 公式YouTubeチャンネル ↑

イエモン。

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