そうだっけ…? ~Facebookのこと~
実はわたし、最近は Facebookに時々 投稿してるものの、あまり記事を頻繁に見ることはしていない。
数年前はかなり頻繁に(1日に何回も)覗いていた。
それなりに投稿もしていた。
コメントも もらったりしてたから、その返信もしたりして…
もちろん、友だちのアップしたものにもコメントを付けた。
それが、ここ2年くらいは…どのくらいかな…
思い出した時にチラ見する程度。
ひと月は見てないな、ってくらいの間は たびたび空くようになった。
最近は投稿するから、少しは また見るようになったけど…
それでも毎日は開かないかな。
見なくなった理由は、単純に「飽きた」とか、そんな感じではなくて「苦手だ」と感じたからだ。
なにが苦手か?というと…
はじまりは「殺処分」に関する記事のシェアです。
「現実に目を向けることから状況を改善できる方法を模索する」
そうですね、まさに。
反論なんてあろうはずもありません。
保護された わんこ・にゃんこに付けられた 命の期限…
それを救おうとする第三者。
…だけど、どうしても「この子の保護期限は あと何日です」ってのを見ると
…その日付は 時には もうすでに過去になってたりして
…そのコメント欄には「どうか助かりますように!シェアします」なんて文字が載っていたりして
…だけど「わたしが、引き取ります!」ってコメントは見当たらなかったりして
そしたら、その子はいったいどうなったんだろうと…
そういった行動で、確かに救われる命が 1つでもあるなら、それは すごく意味のあること
そんなことは わかってる。
だけど、わたしの心が そこに追いついてくれなかった…
スクロールする指が、その子の写真で、動画で、ピタリと止まってしまった…
動けなくなってしまった…
…それから、こんなに可哀想な子が こんなに幸せになりました、っていう記事も たくさん目にしました。
それは、よかったし 涙があふれることもあった。
だけど、そんな小さな感動に わたしはどうやら 疲れてしまったのだ。
なにも、対象は動物だけではなく、こんな大変な環境の人が…
こんなにも頑張って…
こんなにも、こんなにも…
あるとき、遅ればせながら
そうか、Facebookってツールが、そういうことの掲示板みたいな役割になっていて
それは、知らない誰かに留まらず…
…SNSがなければ、知り合いであっても 知るこもなかっただろう個人の情報を、いとも簡単に 即時に知ることができる時代になったんだ、と気づいた。
知りたいと 望む望まないにかかわらず目に留まる。
有名な人だから公になるんだと思ってた 誕生日も…
知らない誰かから祝われることが、当たり前のように起きる時代。
誰かの誕生日には、Facebook上の友だちなら、直接関わりのない人でも「おめでとうございます!」と言う…
それはとても素敵なことでもあり…
…だけど、あるとき わたしは自分の誕生日の情報をプロフィールから消し、誰にも「お誕生日おめでとう」と言わなくなった。
その辺から、静かに少しずつFacebookと離れていった。
…見る専門に転じた。
…見ることも少なくなっていった。
…スマホ上のアイコンは もはや あるだけとなり
だからってアンインストールするほどのこともなく…
放置…
上手に使えば 確かに 便利で おもしろくて 仕事の役にも立てば 友だちも増やせる、30年前には思いもよらなかったくらいの、魔法のツール…
だけど、その闇も 確かにあった…
わたしの場合は「闇」という程の深刻な被害にあったわけではないけど、少しだけ 心が付いて行けなくなってしまった。
…距離を置いた。
ソーシャルディスタンス
そして、今日、久々に見たFacebookには、また「頑張った人」の記事がアップされていた…
わたしには 真似できない努力を
わたしには 真似できない方法で
見事にやってのけた、その成果…
少しだけ胸に痛みを感じつつ「超いいね♡」って押そう!!!って思ったんだ…
なのに…
え??????
何事??????
わたし、もう「超いいね♡」押してるよ??
…日にち見る👀
え???
4月?????
…読んだのか、すでに、読んでたのか(汗)
そうか、そうか、読んでたのか…
なるほど、わたしの記憶力なんて、そんなもんよね…
うんうん、なるほど。
結局、まぁ、その程度の記憶とおもって お付き合いすれば なんてことないじゃん…
ってなった、Facebookとの距離は…
でも、やっぱり…
ソーシャルディスタンス
…かな!!!(笑)
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