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小口先生の施術 (じゅうごかいめ)

🌸🍀🌸春爛漫🌸🍀🌸‪

桜が満開になりました!!!

と、ウチの地方気象台が発表したのが昨日…

桜と富士山が一緒に見られるスポットやら…

桜と菜の花が一緒に見られるスポットやら…

桜と南アルプスの山並みが一緒に見られるスポットやら…


とにかく、地方気象台公認の「🌸満開の桜🌸」を心ゆくまで堪能したわけですが…


今朝も家を出れば、隣の公園の桜も満開♡

この桜、幹から咲く🌸お花🌸が 可憐なんです♡

もちろん桜だけじゃなく、春を告げてくれる贈り物は他にもいっぱい!!

たんぽぽも あちこちで見られるようになりました!

これ、わかりにくいけど、ツバメの巣。

中にはヒナがエサをもらおうと、口を開けて待ってます😊

親ツバメは忙しい季節ですね!


前回(じゅうよんかいめ)は桜の開花宣言が出たものの、街の中に少しの春を見つけたに留まりましたが…


今回の静岡行きは まさに🌸春🌸を 満喫する一日になりました♡


そこには2週間の分の月日があって…


その月日が、冬の景色を一掃してしまったように…


散りばめられた🌸春🌸は どこにでも見つけられるようでした!

桜に続いて桃の花も そろそろ満開を迎えそう…

茶色かった山肌にも、新しい緑が眩しく映えます。


…そうそう!!!


ここまでに、そこそこたくさん写真があるのは、わたしが運転していないからなのです。


夫は いつもより体調がいいのか「今日は途中まで オレが運転するね」と言ってハンドルを握ります。


そんな夫に「わぁ!綺麗!!あれも撮りたい!これも撮りたい!」って隣でわたしがわめくけど…


「うーん、難しいな…」と言ってスルー。
(まぁ、停るところがないのですが…笑)


それでも、山を登って行くごとに、淡くも華やかだった彩りの「🌸春らしさ🌸」は身を潜め、茶色と深めの緑で構成された「冬の名残り」が目立ちます。

裾野には、ずいぶん広がっていた春ですが、山の高みには まだ届いていないようですね。


途中、薬が効いて眠気に襲われた夫と運転を代わり、朝霧まで来ると今日の富士山は霞の向こう…

まぁ「春霞」という言葉もあるくらいですから、風情がある、とも言えるのでしょうか😊


もう少し進むと…


草原では のんびり牛たちが草を食みます。

…え?どこに牛がいるか、って??

ちゃんといますよ♡

ほらね!!😊🍀


…牧草も緑になり、牛も柔らかな草を楽しんでるのかな?


そして今日は施術が午後からの予約なので、先にランチタイム…なのですが、ブログはいつも通りの順番で…



お待たせしました!ここからは15回目の施術のお話です。

後述しますが、今回も お昼はアンジーさん(ルドルフ シュタイナー学校の先生)と「やすらぎカフェ」さんで楽しい時間を過ごしており…


その際アンジーさんは夫に「今日は小口先生はどこから施術を始めるとおもう?」と質問していました。


「今日は左肩が調子が悪いから、左肩。それから背中、腰かな…」と答える夫。


そして、やっぱり その予想は的中。


この場合、もちろん、予想が当たった夫が すごいわけじゃなく、小口先生が凄いんですけど。笑


小口先生がまず触れたのは、左肩。


そこから背中、右腰へと移動していきます。
(何してるのかは わかりません…)


あんまり わからないので「先生の手から、何か出てるんですか?」とまた聞いてみる。

小口先生には「そんなわけない。ここにあるんだよ…反射を感じ取る、出るべき反射と、出てはいけない反射…」

でも、わたしには「???」ってなってしまうので…

やっぱり、そう思えちゃうくらい、小口先生は何もしていないように見えるのです。


次は仰向けになって足の施術。


ここで右の股関節を調整。


…実はこのところ、夫は股関節が痛いと言っていたのです。


これも、小口先生には言っていないのですが、過去の施術では一度も触れていない股関節に、小口先生の手は触れます。

立ち上がって確認する前には、夫の中には すんなり立ち上がれるイメージができていると言います。


「立ってみて」と声をかける 小口先生に、立つ前から夫は言う。


「立てますよ!」サラッと立ち上がる夫に「いいね!」と声をかける小口先生。


痛みと動かない身体から解放されると、今度は震えに襲われる。


小口先生は「そっちは これから調整するから」と夫に座るように促す。

腕と首の調整…


ここで夫が披露したのは、親指から1本ずつ小指まで握っていき、今度は小指から開いていく(指を使って10まで数える感じ…)という動き。


パーキンソン病患者にとっては、こういった細かい動きが とても難しいのです。


特に目視しているとできない。


不思議と見ていない方ができる。


夫は その話を よく小口先生にも訴え、小口先生もパーキンソン病の特徴から、脳のフィルターを通し、意識することで 動かしにくくなるというのは、考えられる当然の結果だと仰っていました。


要するに無意識の動作の方がしやすい。


イメージなら、動ける。


でも、「こう動こう」というのが計画的だったり、「動け!」と考えていると余計に動かなくなる。


パーキンソン病の おもしろいところですね、うまく動かすためには いかに動かすことを意識しないか、にかかってる訳です。


…ただ、ここで披露したのは、目視しているのに動かせるようになっている、という事実。


今までは、見ているとできない。
見なければできる、という状態だったものが、見ていてもできる。


その状態を「よくなっている」と表現したわたしに「よくなってるわけじゃない」と夫は言葉を重ねた。


夫に働いていた感情が どんなだったのか わたしには わからない。


でもこれは、元々できなかったことが できるようになった訳ではなく、当たり前にできていたことができなくなってしまい、それが 再度できるようになった状態な訳だ。


本人にとったらグラフで言えば、プラスを大きく上回っていた数値が、ある時を境に急降下、0のラインを下回ったばかりか、そのままマイナスに転じ 転げるように落ちていった…


株でいえば大暴落。


目視して指が動くということは、そこから、やっと0のラインに、スタートに 戻ったかどうかくらいのところなのだろう。


「よくなっているわけじゃない」の感情に含まれるのが、指の開閉ができても…ということだったのか、あるいは 機能的に奪われている、他の行動制限の広がりを憂いたものかは わからない。


でも、これが何かのきっかけになるかもしれないことは、第三者だから期待を持って見てしまうのだろうか。


そう、確かに。


現実は、ここにあるもの以上のものではない。


その現実を受け止めて、受け入れてしか 前に進めない。
今を生きられない。


特にパーキンソン病のような病気の場合、今の医学において完治が見込まれるものではない。


症状が重くなっていくことを、いかに遅らせるか。


薬によって動ける時間を、いかに確保できるか。


でも、だからこそ そこに何の手出しもできない第三者にとっては「意識しても動かせること」の大きさに期待してしまう。


それは、もちろん本人にとっても同じだろう。


ただ、奪われていく機能に向き合いながら、何を持って「回復」とするか、は 本当に難しい判断なのだろう。


…話が施術から大きく逸れてしまいましたが、この後頭の施術で、夫曰く「脳みそがスッキリしすぎて気持ち悪いくらい!!」(完全に喜んでます 笑) になり、本日の施術は終了。


「ありがとうございました!!」と立ち去る夫の後ろ姿に、「完全に普通だね」と小口先生が笑って言う。


来た時とは全く違う歩行状態を、楽しむような夫の姿。


それを見守る小口先生の目は本当に優しさに溢れてる。


…ちなみに
「よくなっているわけじゃない」と夫が言ったのは、わたしの言葉に対して言ったわけで、小口先生に言った訳ではありません、念の為。笑




さて、次の話題は…お昼の恒例!!
「やすらぎカフェ」さんのランチです😋🍴


今日も、わたしたちに合わせて いらしてくれたアンジーさんとランチを楽しみます♡


わたしは お魚をセレクト🐟


レモンバターソースが爽やかに広がります🍋

天ぷらは、ネギ坊主!!!


初めて食べたけど、ちゃんと ネギの香りがして 柔らかな甘さと歯触りが楽しめます。


アンジーさんとは、色々な話をします。


アンジーさんはシュタイナー教育の先生。


スイスに暮らしていた経験もあり、お話は多岐に渡ります。


今回は「障がい」の話…


少し逸れますが、つい最近SNSで、車椅子の方がJRの無人駅を利用しようとしたところ 断られたという話題が大きく取り上げられたのをご存知でしょうか。


これには どうやら裏もあるようなので、ここでその核心に触れるつもりはありませんが、日本は そういった賛否が大きく取り上げられる世の中である、ということこそが問題なのではないか、という話を この時たまたましていたのです。


アンジーさんが教育実習に行った小学校に車椅子を使っている子がいた。
階段の前に差し掛かった。
車椅子の子の周りにいた子どもたちが、示し合わせもしないのに その子を上の階に運んでいく。
車椅子に乗っている子も運んだ子も、特に友人関係ではなく、本当にたまたま そこに居合わせただけなのに。
運び終わると、それぞれの目的に向かって去っていった。


スイスでは目が見えない人、耳が聞こえない人、手足が自由に動かない人…
みんなみんな街に出て、なんの隔たりもなく生活している。
良くも悪くも特別視しない。
「年を取っているから大変だろう」とか…
「この年頃の子供には難しいだろう」とか…
それと同じ目線を何か不自由を感じる人に向けるだけ。
できないことは、できる人がやればいい。
…ただ、それだけのこと。


日本では双方が隔たりを作ってしまう世の中だ。
特別なこととして括りたがる。

特別なことをしてあげる…
特別なことをされている…

もっと自然に、もっと当たり前に
これからの世の中に「障がい」という言葉すらなくなるくらいに お互いの弱点を認め、補い合える社会。


ものすごく極端に言ってしまえば、社会なんて「得意な人」や「好きな人」が「それが嫌いな人」や「不得意な人」に金銭を用いて補い合うことで成立しているとも言えなくもない…


その、もっと根本的なところにある、様々な弱点からの「できなくて当たり前」なことを認め合うことが 自然にできるようになる国になっていくといいな。


以前、車椅子の人とお話をした時、その方がこんなお話をなさいました。
子どもが来て「なんでそれ(車椅子)に乗ってるの?」と聞かれました。
その親御さんが慌てて制しようとしましたが「いいんですよ」と目配せし
「生まれた時からね、足が動かないんだ」と答えました。
子どもは驚いた顔をして、足をまじまじと見つめ
「触ってもいい?」と聞きました。
「痛くないから大丈夫だよ」と答えると、子どもは黙って 恐る恐る わたしの足をさすりました。
そして「届かない時はボクに言ってね!」と言いました。
その彼は、車椅子のわたしと 大して変わらないくらいの背丈なのに。

そして、言いました。
親御さんにしてほしいのは「じろじろ見るな」とか「黙って通り過ぎろ」という教育ではないのです。

そういう人もたくさんいることを教え、そのような人に出会ったら「自分にできて その人にできないことは なんだろう?」と考えてみるチャンスとして お子さんに向き合ってほしい、ということ。


アンジーさんとお話しながら、そんなことも思い出し…

本当に この国が変わっていけたらいいのにな、と思うのでした。


さて、長くなりましたが、締めくくりに もう少し🌸春🌸をお届け…


ここまで読み進めてくださった皆さまに感謝を込めて♡(ヘタクソな写真でごめんなさい!笑)

帰り道の「広見公園」
春休みということで、子ども連れの家族や、お花見の人がたくさんいました。

ウチの近所の「小瀬スポーツ公園」もみじの花って赤いんですね♡
この季節、あちこちで見られます。
紅葉もいいけど、お花も可愛かったんですね!!

表紙もこの「小瀬スポーツ公園」
満開の桜が 風に舞い散るのが あまりに美しく切なく映るのは「儚さ」のゆえんでしょうか…

やっぱり、この季節、好きだなぁ♡


次の施術は、またガラリと季節が変わるんでしょうね!!!


最後まで ありがとうございました!!!


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