私のお守り
つらつらと自由気ままに書き連ねるnote、意外と悪くないかもしれないと思っている。日本語や文章がおかしいことはさておき。ここは私のnoteだからと言い聞かせつつ、今日も書き置いてみようと思う。
人にはそれぞれ大切にしている、物や場所、言葉、記憶なんかがあると思う。ない人はたぶん忘れているだけだろう。よく思い出してみてほしい。
母と行ったドライブ、恋人との思い出の曲、友達との行きつけのファミレス、夕方5時のサイレン、祖母にかけてもらった言葉、桜色に染まった夕焼け。あなたはどんなことを大切に胸にしまっているのだろう。
私には大切にしている言葉がある。
ぼちぼちと。
あなたにとってはさほど重要視するほどでもない、ほんとに何気ない言葉だろう。でも私にとってはお守りにしている大切な言葉だ。
ぼちぼちと。
わりと語感も悪くなく、良い響きだなと思う。
さて、なぜこの言葉を大切にしているのかの話だ。
先日書いたnoteでも話に出てきているが、私は良い子ちゃん気質だ。
自分で言うなよ!っていう突っ込みたい気持ちは抑えていてほしい。
私も何言ってるんだろうな、くらいの気持ちが少なからずある。
良い子ちゃん気質の私は、幼少期からなんでも頑張る子ちゃんだったわけだ。
一生懸命、努力、為せば成る
○○ちゃんと比べて
出来ないのは努力が足りないから
やらないのはあなたが怠けているから
そういうワードが飛び交う環境のお育ちだ。
時代でくくってしまうのも大雑把だなとは思うが、昭和気質な親や熱血漢の先生方に囲まれて育った良い子ちゃんな私はこの言葉たちを刷り込まれてきたわけだ。
そんな私が就職をした。
新人をとったことがない病棟だった。
自分にも1年目の時があったなんて、欠片も覚えていないような
所謂 ”お局さん” しかいない環境だ。
地獄のような日々が続いた。
毎日泣いて帰って、勉強して。
わからないことが多すぎた。
努力が足りないんだと思った。
先輩方からのプレッシャーに、
命のやり取りの重圧に耐えられなかった。
出勤してトイレで隠れて泣いて。
心が折れるギリギリライン、
そんな日々が続いていた。
看護師に向いていないと言われたことは今でも忘れていない。
意外と根に持つタイプではある。
地獄の職場に一人、
命のやり取りをするにふさわしくないほどゆるい人がいた。
直属の上司だ。
口癖が
「大丈夫大丈夫」
「ぼちぼちでいいよ~」
「ねぇ、やってみる?」の三拍子。
終始空気のようにふわふわしていて、おちゃらけていて。
あまり得意ではなかった。
一生懸命さや緊張感が見えなかったから。
ある時上司が「○○参加してみよっか」と話しかけてきた。
勉強はしたことがあるけどまだ経験したことがないことだった。
ビビってしまった私は「できません」と少しばかりの勇気を出して断った。
「大丈夫大丈夫、ぼちぼちやればいいからさ」と上司はヘラヘラしながら食い下がる。
「これ取ってきて」
「はい、取ってこれたね、いいぞいいぞ」
「今から○○さんが▲▲って言うからメモして」
「よし、できたね。ぼちぼちで大丈夫よ」
「ちょっとだけ○○さんと交代してみよっか」
「よし!ぼちぼちやれたね!デビュー完了や!お疲れ様」
文字だけで見れば何のことかわからない内容ではあるけれど
(私の文才がないが故…)
命を預かる現場の、それも最前線での話だ。
今まさに私のこの手で命を預かった、
あの時の感触をいまだに忘れてはいない。
風に飛んで吹かれていきそうな
ふわふわした上司の
ぼちぼちと。
一生懸命だとか、努力だとか、
そんな熱血指導が刷り込まれていた私に
ふわふわと舞い降りてきた言葉
ぼちぼちと。
肩の力が抜けた。
抜いていいんだと思った。
ふわふわしていてもいいんだと思った。
努力は裏切らない
これは間違いない。事実だ。
頑張った分だけ報われる
こちらは賛否あるだろうが、よく言って聞かされる言葉のひとつだ。
個人的見解ではあるが、日本人は働きすぎで、責任感が強く、努力家が多い傾向にあると思う。社畜製造大国だ。
でも24時間365日、努力し続けるのは不可能だろう。
人間だもの。
一生懸命やったからといって必ず報われるとも限らない。
なんなら、ぼちぼちやろうと肩の力を抜いたほうがうまくいくことだってあったりする。
どちらがあなたに合うかはわからない、人それぞれだから。
ただ、
少しだけ肩の力を抜いてみてもいいんじゃない?
ってお話し。
私にとってのお守りは、
きっと、たぶん、これからも
ぼちぼちと。
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