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通りすがりのアラサーのひとりごと


今回は特にテーマを決めずに心のむくままに書き連ねていこうと思う。
トークテーマなしは大冒険だ、果たして無事に着陸できるのか。



noteを書いてみようと思ったのは、心のアウトプットが苦手だからだ。
要はこの場をアウトプットする練習場にしてみようと思ってみたわけだ。
うまく出来ているのか、不安は尽きないが案外書くこと自体は今のところ苦ではない。


以前書いたように、私の仕事は巷でいう白衣の天使だ。
今はスクラブが主流だから白衣の天使という表現でいいのかは置いておく。

職業柄、人のお話しを聴くことが多い。
聴くことは得意なほうではある。仕事とさして変わりない。
問題は話すことのほうだ。

昔から人見知りで、人前で話すことが得意ではない。
1対1ならまだしも、複数人の輪の中で話すことは得意ではないし
大勢の人の前で話す機会があろうもんなら赤面して舌を噛み切って逃げ出したいところだ。

友人の多くは「人見知りに見えない」「よくしゃべるほうだ」と評してくれる。さほど友人も多くはないのだけれど
これもまた職業柄、というところだ。

もう一度言っておくが、私は人見知りだ。
人と目を合わせることが苦手だ。
さらに言えば会話を盛り上げる能力もおそらく人より劣っている。
コミュニケーションそのものが得意ではない方だ。


それなのに周囲からは人見知りに見られていない。
なぜなのか…。

人見知りの私が仕事の時に何を意識しているのかを考えてみた。

・人見知りに見えないように、視線を意識する
・目を合わせすぎないように、必要な時に意図的に合わせにいく
・顔の見えない相手と話す時は、意識的に復唱しながら聴いていることを表現する
・相槌だけで済ませない
・目元を見られていることを意識する(目は口ほどに…というやつだ)


仕事ではおそらく出来ているであろう、たぶん、きっと。
誰とでもすぐに打ち解けられるタイプではある、仕事であれば…。

この意識の持ち方を、知らず知らずプライベートにも流用しているのだろう。その結果「人見知りに見えない」「よくしゃべるほうだ」と評されているのだろうと自分では解釈している。



「人と話すときは相手の目を見て話しなさい」


言われた経験がある、という人が多いのではないだろうか。

私はこの言葉があまり好きではない。

目を見て話す=叱られる

この謎の方程式が私の中ですでに出来上がってしまっているからだ。
おそらく幼少期にこの方程式が出来上がっているのだとは思うけれど
ここではひとまず置いておこう。


相手はこちらの意思を汲み取ろうと、真摯に向き合ってくれようと
目を見て話してくれているのは理解できる。
頭では理解できているのだ。
ただこの方程式をすっ飛ばすことができないのだ。

1+1=2

決まっている。それ以外に答えはない。
そのくらいに私の中では刷り込まれてしまっている感覚なのだ。


もちろん、普段のコミュニケーションを蔑ろにしているわけではない。
人見知りだからこそ、意識してコミュニケーションを取ろうと思っている節もある。アウトプット自体が苦手なのでうまくコミュニケーションが取れているかどうかはご想像にお任せする。


人と話したいのに話すことが得意じゃない人もいる。目を見ることが苦手な人もいる。話したい気持ちが先走ってうまく話しをまとめられない人もいる。気持ちのアウトプットが苦手で余計な一言を足してしまう人もいる。緊張して思考が停止してしまう人もいる。表情に出にくい人もいる。吃音になってしまう人もいる。しゃべれる人見知りもいる。

世の中にはいろんな人がいる。
いろんな人がいていいんだ。
みんな同じじゃつまらない。



トークテーマなし、とは言ったものの
おそらく今日は人とのコミュニケーションについて自分の中で見直したかった気分なのだろう。これは私の中での永遠に続く課題だ。仕事においても、人生においても、きっと何度も振り返る課題だ。だからアウトプットしたかったのだろうと思う。


「人と話すときは相手の目を見て話しなさい」


これが人と人とのコミュニケーションの全てではないということを、このnoteを最後まで読んでくれたあなたの心の片隅に住まわせてくれればと思う。

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