人類逆張りの下

「友達との約束をすぐドタキャンする俺は悪くない!」って動画をYouTubeにあげたら低評価が3分で1万ついた。そんなみんな大好き遠藤商法、ほんと最近多い。所謂逆張りって奴、YouTubeでの「悪くない」の検索候補数「ドッキリしてみた」とタイマン張れるレベルだと思う。今日のYouTuberのメインジャンルは「ドッキリ」「カップル」そして「逆張り」であることを今ここに宣言します。最近の炎上のメインコンテンツにもなりつつあるよね。

全然話は変わるけど、最近躁鬱の鬱の方のピークが限界に達してきてる、いやピークというか俺の鬱のグラフはどこかで底が1以上の指数関数のグラフになってしまったので最早ピークというものが存在しないのだが、そんな事は今はどうでもいい。まあ鬱の上昇と共に希死念慮と自己嫌悪とかいう二大鬱要因のパワーが増してきてまして。でも思うんですよ、本気で自殺しようともない俺みたいなカスが抱く希死念慮は、生への渇望、期待から来てる。周りみたいに楽しく生きたくて、他人への嫉妬の嵐で、無力感に苛まれる自分に侮蔑の視線を向ける。希死念慮ってのは「死にたい」ってよりもむしろ「生きたい でも生きれないから 死にたい」つまり「生きたい」なんだよな。自己嫌悪ってのも、無意識の中に俺らは自分という像に過度な期待を寄せているせいで、1ミリほどその虚像に掠らない自己に勝手にキレて、パフォーマンスとして嫌いになってみたらどんどん嫌いになったって感じでしょ。思春期の男子中学生が思わせぶりな女の子に過度な期待を寄せて裏切られたと勝手に思い込んで恋愛そのものが嫌いになるみたいに。つまり自己嫌悪する奴は全員思春期、高校生を再履修するのが最適解(?)。そもそも自己肯定感がホントに低くて自分に期待なんてしてなかったらうじうじ悩む訳ねーだろ、好きの反対は無関心って言うけどさ。Twitterで手首切ってる女の子も少しは信じて、期待してんの、自分に、みんなそう。

「自然を大事にする」とか「絶滅危惧種の保護」なんて言葉が自然をぶち壊してるのは人間だけなのに戯言になってないのは、自然すらも見下してぶち壊して再建できる人間の実力の高さから言えること。人間様の素晴らしい「自然界の営み」って考えは自分達は入れてないしな。サル殺すのに人間増やしすぎやがってマジで野田洋次郎に怒られろカス共。そもそも○○を大事にするなんてのは○○より強いから言えることであって。ヒロインより戦闘力低い主人公がドヤ顔で「君は僕が守る!」とかいうのに腹が立たねーんですかお前らは。(なお、吉沢亮なら許すとかいうクソ女が居ないように主人公は腹が立つ俺に顔面を破壊されたものとする。)

まあ俺が数分で考えただけでこんだけ言えたって事は人間なんて日常的に逆張り生物、間違いない。きまぐれな動物とか言われてる猫なんて目じゃないレベルで。俺もお前も毎日逆張りして生きてます。なので遠藤を馬鹿にするのはもうやめましょう。おしまい。

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