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映画『タゴール・ソングス』

この映画のことを知ってからずっと気になっていた『タゴール・ソングス』。今日やっと観に行くことができた。観ながらも、観終わった今も、いろんな想いが次々に湧き出てくるので、それを少しメモしておこうと思う。

思えば、新型コロナウイルスで世の中が一変してから今日まで、映画館に行っていなかった。『映画』を観たのも(子供のアニメを除いては)とても久しぶりだった。ある一定の時間、何かひとつに集中することから遠ざかってたのだな、と思う。
映画を観ながら思うのも、変わってしまった世の中のことだった。映画の中に収められている日常は、今みるとなんだか幻のよう。マスクをせずに人とハグをして、歌いあったり、語りあったり、気軽に異国の地へ旅できる日々がまたやってくることを本当に心から願う。

この映画に出会うまで、私はタゴールのことを知らなかった。少し調べてみると、インド、ベンガル州コルカタの恵まれた家に生まれた彼は、多くの歌や詩を残し、インド、バングラディシュ両国の国歌も彼の曲だ。タゴールの創作物は、世代や国を超えて、彼と異なる地位や環境にある人々の心に深く染み入る。不思議でならなかった。言うなれば上流階級にいた人が書いたものが、なぜ様々な境遇の人の拠り所になっているのか。彼はベンガルの人々にとってどのような存在なのか。映画にそのヒントが記されているのか、ますます観たくなった。

10年ほど前に一度だけ行ったことのあるインド。その際に訪れたのはデリーやバラナシなどの北部で、コルカタとは雰囲気は異なるのだろうが、想像以上に多くの人がいて、想像以上にいろいろな生活があった。それぞれの生活は確かに同じ空間にあるはずなのに、なぜか交わらない。お互いが空気のような、日本にいるとあまり感じたことのない感じ。(いや、そんなことないか。日本でも、外国から来た人々に対して、障害を持つ人々に対して、そういう時がある。これはまた今度書こう)
でも、インドで感じたのは日本のとは質が違っていた。格差という言葉があるけれど、ここにはちょっとやそっとでは動かすことのできないそれがあった。

映画を観た今は、タゴールと彼の創った歌や詩は、その異なるものを一様に優しく包み込む、大きな一枚の布のようだと思う。インドとバングラディシュにまたがるベンガルという民族を包むという意味もあるし、個々人の多様な想いを包むという意味もある。

ただの旅行者の私ですら感じる様々な違いを、映画に出てきた人々は当たり前だけれど実感としてもっていて、それらとなんとか生きている。そして生きていくなかで、心は大きくも小さくも常に動き続ける。
タゴールの作品は、どんなときも生きることに寄り添っている。

タゴールは、自分が恵まれた境遇にあることを認めながら、自分と異なる人々としっかりと交わろうとしていたのだろう。空気のように扱うのではなく、存在をきちんと認めていた。そこで知り得たこと、感じたことを言葉で表現し、伝え続けた。彼の真摯さ、正直さが当時の人々の心を打ち、それが今も変わらずに続いているのではないかな。

映画としては完結しているのだけれど、まだまだ知りたいことがたくさんある。登場人物と、ここには出てきていない数多くの人々の、タゴールとその人の物語をもっと観てみたい、聴いてみたい。そしてこの映画を観た人と話がしたい。どう感じたか、聴きたい。そういうの、長らくやっていないな。

まとまりがないけれど、私の今の気持ち。観ることができてよかったな。

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