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ないならないなりに、という安心

スンスン(犬)と、あたらしく、ちいさく暮らしをはじめようと思った。

たくさんのモノやコトで、いつもパンパンなポケット。引っ越しを決めたのは、ふと、そのポケットのほころびに気づきだした頃だった。

東京に暮らして10年。2年の更新がくる度に引っ越しをして、つまりこれまでに4度引っ越しをしたことになるが、5軒目となる今の家は、ちいさな再出発にぴったりの場所だった。

杉並区のすみっこ。目の前には神社があって、後ろには森みたいな公園がある。緑と土の匂い。ほとんど一目惚れだった。何よりスンスンが気に入ってくれそうだと思った。

わたしたちは、朝と晩の1日2回、その森みたいな公園を散歩する。スンスンはいつだって散歩に全力。しっぽをせわしなく振って、ちょこまか進んでは、あっちでクンクン、こっちでクンクン。

“クンクン”の何がそんなに楽しいんだろうと思うが、わたしはスンスンのそれを眺めるのが結構すきだ。「昨日といっしょの匂い」を確かめているのか、それとも「毎日あたらしい匂い」なのか。スンスンはいつも不思議でいっぱいだ。不思議って楽しい。

部屋は、築47年 木造二世帯アパートの2階。薄っぺらい造りで風が吹くとたまに揺れる。室内はリノベーションされていていて比較的あたらしいのだが、高い天井には昔の梁が残っていて、すりガラスの模様も古く、ところどころにレトロさが残る。

いわゆるお部屋探しの条件でいえば、今まで住んだ中で最下位だ。駅近、築浅、バストイレ別、バルコニー、シューズクローゼット、オートロック、宅配BOX、駐輪スペース…。この家には、そのどれもがない。

思いきったなぁと思うのは、お風呂を手放したことだ。まさかお風呂のない家に住むことになるとは、我ながらよく決めたなぁと思う。とにかく“森みたいな公園”のそばが良かったんだ。

もちろん有り余るお金があれば、同じ環境でもっと良い家に住むことはいくらでもできただろけど、今となってはこの家を選んでよかったと思う。

なぜなら、わたしが生活するのに何が必要かが、俄然明白になったからだ。なくても大丈夫、ないならないなりにどうにかなる、という安心。

実際、お風呂がなくて困ることはこれといってない。一応お風呂の代わりにシャワールームが付いているが、本当にそれで十分。湯ぶねに浸かりたいときは銭湯に行けばいいし、銭湯に行く理由ができたのもいいなって思っている。

あたらしい街、あたらしい暮らし、あたらしい出会い、あたらしい場所、あたらしい仕事、あたらしい経験。「あたらしい」はいつも刺激をくれるし、魅力的だ。引っ越しもそうだった。

だけどなんだろう。この家で暮らすようになって、ずっとそれを続けるの?と思うようになった。わたしが求める「あたらしさ」は、いつも自分の外側に向いていたことに気づく。

なんかもっと、今ここにあるものや毎日変わらないものを、あたらしく味わえたらいいなぁ。スンスンの“クンクン”みたいに。

さて、まもなく2年の更新がやってくる。引っ越し、どうしようかな。スンスンに相談かな。

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