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『哀れなるものたち』

はじめに

『哀れなるものたち』を観ました。
感動したので、感想を。
以下ネタバレ含みますのでご容赦ください。


あらすじ

公式サイトによるあらすじは下記の通りだ。

「天才外科医によって蘇った若き女性ベラは、未知なる世界を知るため、大陸横断の冒険に出る。時代の偏見から解き放たれ、平等と解放を知ったベラは驚くべき成長を遂げる。」

https://www.searchlightpictures.jp/movies/poorthings

もう少し付け加えたい。
橋の上から身投げした若い女性を天才外科医”ゴッド”は見つける。女性は死後硬直も始まっていない状態で、身ごもっていた胎児も完全に死んではいなかったため、ゴッドは胎児の脳を女性の体に移植する。
ベラと名付けられたこの女性は幼い行動をしていたが、目を見張る速さで成長していく。その様子を観察するよう命じられたマックスとベラは婚約をするが、ベラはダンカンと大陸横断の大冒険に出る。多くの人と出会い、様々な経験を積むことでベラは自分の人生を生きるようになっていく。
といった話だ。

本作で特に感動したところ、自分の考えを整理したいと思ったところは以下3点だ。

  1. 独特な色使い

  2. カメラワーク

  3. 「哀れなるものたち」とは誰のこと・なんのことか?

独特な色使い

この映画で一番印象に残るのが色彩ではないだろうか。
映画冒頭のシーンから度肝を抜かれてしまった。
ベラが身投げをするシーンではあるが、空の色やドレスの青色が不気味だ。こんな彩度の高い色は日常生活でめったに目にしない。
と思ったら次のシーンでは一転、モノクロの色彩で物語は進んでいく。
その後、過去の回想シーンおよび冒険が始まった後はカラーで描かれる。
ここは単純に、屋敷に閉じ込められていたベラが外の世界を知り、複雑な感情を覚え、色を獲得していったという意図だろう。
とはいえ、全体を通してそんなのありか?と思ってしまうような、いわゆる「映え」を意識しすぎて不自然になってしまった写真のようであった。
これはあくまでファンタジーだというのか、幻覚を見ているのか、新しく人生を生きなおしているベラにはこれほどまでに刺激的に映っているということなのか、私には判断つかないが(現時点で監督インタビューなども読んでいないため)、真意を考えながら鑑賞していた。
(白黒→カラーと映画の中で変わっていくので、白黒で見ていた景色の色の答え合わせができるのはとても興味深く、ベージュの壁紙だと思っていたら水色だったりで面白かった。)
その中でも不自然だったのが空の色だ。ベラの気持ちが反映されているのであろう。
例えば船上での嵐が近づいてきそうな空の色はダンカンとの不和を感じられるし、途中下船していたアレクサンドリアは夕焼けや城?含めて異世界というか、貧富の差、ベラがいる世界の特別さが表されているように感じた。
しかし、それだけではないように思えるし、そこは私の考えが及ばない範囲でもあるし、ただ、観ていてほんっとうに飽きなかった。超オシャレで、映画館で観ることができて本当によかったと思う。

カメラワーク

これもすごく特徴的だった。
魚眼レンズや広角レンズのほか、ミニチュアっぽく映るようピントを調整していたりする。
また、ぼやけさせた背景もただぼやけるというより、人物が浮き上がるようなかけかたをしている気がした。
屋敷を登っていく人を下アングルから撮影したり、この撮影の仕方も飽きないで観ることができた一つの要因だと思う。
ただこちらも知識不足、かつストーリーを追うのに必死でなぜこのような撮影をしているのか?というのを考える余裕がなかった。
あまりよくないことをしているときは、のぞき見みたいな映し方がされているなと思ったけれど。
ここを考えるためにもう一回観たいなと思う……。

「哀れなるものたち」とは誰のこと・なんのことか?

邦題だと「哀れなるものたち」となり、人を指しているのか、物を指しているのかが判断つかない。しかし、英語だと「POOR THINGS」である。
(※追記:形容詞+thingで「〜な人」という用法あるのですね!無知をさらしてしまいました!とはいえ、人と物、動物との違いみたいな部分は考えていきたいところではあるのでここ以降はほぼ編集なしです)
最初、この「哀れなるもの」がベラや(ベラはゴッドによってよみがえったある種人造人間である)、ゴッドによって作られた動物たちなのかと思ったが、おそらく違う。
この作品だが、ベラに魅了された男たちの愚かさと、ベラの自立が描かれている。ファム・ファタール的作品である。
ベラに魅了され、一文無しになるダンカン。元夫もベラを取り戻しに来た後、結局見放される(というよりも、improveされ、動物のようになる)。
一方、気まぐれが悪とされ、実験体であったために外の世界との交流を絶たれて育った彼女は、冒険で性生活を通し様々な経験を積む。
生きていくには絶望や悲しみを乗り越える必要があると教えてくれたのは娼館の女主だった。
ベラは冒険をする中で「人は残酷な存在なのか」という疑問を持ち、特に前半は残酷さにあふれていた彼女は徐々に変わっていき、子供のために寄付をしようとし、自分を閉じ込めようとした元夫も助ける。
見ていて哀れだと感じるのは、そんな彼女に振り回された男たちのほうである。性欲や支配欲のみに従って生きる人間たちは動物と違いはあるだろうか?そもそも人間をわざわざその他哺乳類や鳥類などと区別することが正しいことなのだろうか?
ゴッドは、実験をする相手に感情移入をしてはいけないと述べていたが、その言葉から考えるに、被験者が人間だとしてもThingsとして見ていく必要があるだろう。
わざわざ"Things"という言葉を用いた背景には、人間とその他の違いはどこにあるのか?そのなかでベラは決して哀れではなく、ThingsとHumanの違いはどこにあるのか?を問いかけているということがあるだろう。
彼女は娼婦としてお金を自力で稼ぎ、解剖学の勉強をし、館の女主としての未来を歩もうとしている。学び、慈悲の心をもち、自分の人生をimproveしていくことこそ、人間でいつづけるために必要なことなのだろう。

おわりに

性交渉の場面が多い。ベラも性交渉に積極的なタイプだった。こんなに必要?わざわざ女性の自立を描くのに、売春である必要ある?と思ってみていたが、人間と動物との違いを描くためには必要だったのかもしれない。
わからないこと・いろいろな人の意見を聞きたい箇所がたくさんあるし、それを踏まえてもう一度見たいと思った。
音楽の使い方も最高だったので、是非劇場で見ていただきたい作品、大満足です。

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