見出し画像

自分の中の天才を喜ばす方法の1、それは内側の流れを堰き止めないこと

 朝起きると、さっきまで見ていた夢がすっぽりがっぽり記憶から抜け落ちる。いや、スーフモアが夢の内容に気付けないようにバレないような、衣装箪笥の奥底に、まさかこんなところにはないでしょう、と僕にバレないように隠してしまったのかもしれない。ふとしたきっかけで3日前の夢を思い出したりする。目が覚めているときだってそうだ。どうして、あの人に会うことを、見たかった景色を、どうしても手に入れたいと思うものを、あっという間に忘れてしまうのか。

画像2

 目を開けると、見慣れぬ天井が見える。他にも見慣れぬ照明、ふとん、窓際の豆苗。0.5秒ほどして昨晩のことを思い出す。今、じぶんがいる場所を思い出した。昨日の夜は、突然に写真が撮りたくなったので、2人の知り合いに電話をした。1人目は講演中でつながらなくて、もう一人はちょうど銭湯あがりとのこと。今いる場所から10分ほどで行けると伝えて、電車に乗った。この感覚がわくわくする。スピード。思いついたことをすぐさま実行する。ぼくは計画的な人間だ。どんなに綿密に計画を立てる人だって、そのタイミングでは即興的な意思決定だ。その意思決定の実行が、時間軸でどれだけ離れているか、それだけだ。思いついたことは、人に迷惑をかけるものでなければすぐに実行する、というコンセプトを持って生きている。

画像3

 じぶんを流す。僕の中に流れてきたものを、次にうまくつないでいく。すると、するするその流れは太くなり、チロリチロリと毛細血管にも栄養がゆきわたり、地下水脈は豊かになる。すると、思いもよらぬことがおきやすくなる。知り合いから突然の連絡が来るようになったり、知りたかった情報、たとえば興味のある京都の綾瀬の情報がとびこんできたり、と、数刻までとは出来事の起き方や、目の付け所がかわって、ニコニコしてしまう。

画像1

 昨晩は写真を撮りに行って、そのままそのアベックの家に泊まらせてもらえることになった。その時に「人生はこれでなくっちゃなーー。その日の夜にじぶんがどこにいるかわからない。誰とあってどんなことをするのかわからない。そのことがとっても楽しい。嬉しい。」そう思った。いつでもどこでも寝れるように銭湯セットと歯ブラシは常備しているのです。グッチ裕三のハッチポッチステーションの替歌をプロジェクターで壁に移して、それを横目にみながら料理の話、漫画の話、岐阜の話、結婚の話などをして、とても楽しかった。

これがやばい


ぼくの人生のコンセプトは、楽しむ、とか、知らなかった風景・場所・まち・家に出会うで、それが不思議な縁や気持ちをもたらしてくれる。引き寄せの法則というのがあるらしいけど、押し寄せの法則なんじゃないかなと思う。じぶんからなにか主体的にうごかないと始まらない気がする。これは自己責任論みたいな面もあって全面賛成ではないけど、風が吹けば桶屋が儲かるみたいな行動讃歌で、ある行動が直接的にそれから簡単に連想される結果だけでなく、その他にも波及して思わぬ行動を起こす。だから、たとえば、誰かに連絡をしたり、街をあるす、スクワットで足腰を鍛える、とかが、めぐりめぐってる気がする。

 だから、ここちのよい風を吹かせる習慣があり、その根底には思考の方向性や、自分のことをどのように思っているのかというアイデンティティがある。生まれた家は変えられないけど、自分を何を選択するかは選ぶことができる。Jeffrey Marshさんの(ジェフリー・マーシュ)TEDxの動画であなたの「天命」が隠されている場所| Where you'll find your destiny 」というのがあって、すきな言葉がある。

「今は眠るときではない。あなたが「あなた」であることを必要としている人がいる。彼らにもそれが「可能」であると見せるために、過去に起きたこと、過去にあなたがされたことは誰にも関係ない。でも、あなたが何をされたことを踏まえて、あなたが何をするのかは、全世界に関係のあることなのです。今です。今こそです。今こそがあなたの天命を生きるときです」

 ぼくはまだ自分の天命を言語化できない。けれど、自分が、流れているとき、流れに乗るというのか、流れになっているようなときに、自分の中にある力、自分の中にいる、誰の中にもいる、天才が喜んでいて、その天才がその力を発揮している感覚がある。なぜなら、スルスルと物事が進み、更にはその流れにリラックスして、大きなものに乗っかって流されているじぶんがあるから。自分の中の天才を喜ばす方法の1つ、それは、内側の流れを堰き止めないことだ。


いただいたサポートは、これまでためらっていた写真のプリントなど、制作の補助に使わせていただきます。本当に感謝しています。