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米神新都心(x)

 朝起きて、一番の仕事をした。ぼくは時々、モーニングコールを依頼される。だから先月末、5月31日にモニコの起業をした。朝6時30分に依頼人Aからしていされた時間にその人に電話をかけた。昨晩、Aからメッセージが来た。その人とは高校時代に知り合ったが、基本的に今でも全てのやりとりを敬語で行なっている。お互い、敬語が落ち着くのだ。時々、タメ語の方が仲良くなれる気がする、という人がいるが、ぼくには理解できない。言葉で、どこか自分が崩れてしまわないように堤防を作った方が、私は自分の言葉も、相手の言葉も観測しやすい。デスマス調で私たち二人は意思疎通をするが、そこには十分な親しさがあるし、昨晩のAは敬語を崩しはしなかったが、やさぐれている感じが伝わって来た。

 私たちの中は2、3年前に、再度、始まった。私がインスタグラムのストーリーにて「モニコをかけたいので、誰か依頼してください!」という投稿をしたのに、Aが乗っかってくれた。だから、お互いがお互いに対して朝の印象を持っている。朝、1分にも満たない会話だったが、Aからちょっとした悩みやいざこざを聞いた。親や恋人についてのことだ。私は最終的にどこまでもいっても第3者であるから、無責任に「いってらっしゃい」の言葉をかけ、相手からの反応をまち、相手が電話を切るのを待つ。ちょっとした間に心の機微を感じる。どこまでいっても私が感じ取った不穏感や、やるせなさは想像の域を出ないが、二人で話した時間に関しては、相手の対して2人称的に接さざる得ない。つまり、いかに相手の心を慮ることができるか、である。定期的に電話をしたりする中なので、たった1分でも言外のやりとりが非常に多い。デスマス調だからこそ、堤防に小さく空いた穴からチロチロと流れる水を観測することができる。

 朝の小さな、一仕事終えて、米を研ぐ。そして、水に浸している間にちいさな散歩に出かける。家から歩いて3分ほどで海につく。向かう途中、あたらしいツバメの巣を見つける。この頃、家の近くを散歩していると空を旋回するツバメたちの姿にであう。時折、私の膝より低い空をツバメが抜き去っていくのに出会うと、私も空を飛びたいと思う。大空を舞うその姿よりも、低い、低い空を風のように抜けていく姿に憧れを抱く。そして、親鳥が巣に近づくと、3羽のひなが何かの声をあげる。全身が黒い蝶の羽の一部には青があり、また、テトラポッドの近くには怪しげな水色を羽に抱えた蝶に出会った。ひらひらと舞っているから、実際にはどんな羽の模様をしているのかわからない。図鑑や、標本などで、できれば図鑑でまじまじとその羽を観察をしてみたい。

夏だからか、引っ越して来た半年前の冬より多くの昆虫を見ることが増えた。夜、PCで作業をしていると画面に虫が寄ってくる。畳の上でゴロゴロしていると、名前の知らないいくつかの羽のある虫が歩いている。食材を放置していると小さな蟻がどこからともなくやってくる。窓には蜘蛛を見つける。彼らにも家賃を払って欲しい、などとは、思いもしない。土地は一体いつから、人間によって統治され、分割され、不動産などと不名誉な名前を与えられたのだろう。全ての人は、借りぐらしである。少なくとも、私は。

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 ここまで、読んでくださった方は、私の中にある悲しさについて、気づいたのだろうか。朝起きて、Aに電話をし、蝶やツバメのことを考えているときまでは幸せだった。けれども、海に行ってからは、とても悲しい気持ちになった。今日もそこにはゴミが落ちていて、新しいゴミが落ちていた。土日になると、多くの釣り人がやってくる。地元の人も、遠くからくる人もいるのだろう。釣りの道具、タバコの吸い殻、ペットボトルや空き缶が落ちている。すぐ近くに、ゴミ箱もある。そして、釣りに来ている人たちは、ぼくよりも何十倍、何千倍も魚を釣って来た人たちだと思う。釣った魚は食べるのだろうか。ぼくは昨日、近所Yさんと釣りに来た。人生でおそらく10回にも満たない釣りの経験しか持たない私は、Yさんは、まさしく先生である。貸してもらった釣り竿や、数ヶ月前に一緒に山に行って取って来た竹で作った竹竿で、魚を釣った。竹でも釣れるもんなんだな、と皆で喜んだりしていた。魚のさばき方を教えてもらい、包丁を入れる。さっきまで生きていた魚が、食べ物になる。鱗をとるときに、痛いだろうな、と思った。エラのあたりに包丁を入れて、内臓を取り出す。内容物が少し出たりして、水で洗う。新鮮なものは、刺身で食べられる。ほんの少しを生で食べて、他は七輪で焼いて食べた。そういった一連の動作の中で、魚はスーパーで売っているものから、スーパーで売られていた魚は海で泳いでいたのだという当たり前を思い出す。新鮮なもの、というのは、ついさっき死んだもの。死にたて、殺したてである。命が大切だ、という話をする気は無い。今日はそうでは無い。ただ、そこをないがしろにしたいわけでも無い。

 10匹程度の魚を釣った。1匹だけフグが釣れた。それは食べれないから、海に戻した。他の魚は、釣りに慣れている人なら、海に戻すようなサイズだったが、ぼくにとっての小田原での釣り初日であったから、食べることにした。包丁でさばくときに、1匹だけ、もう死んでいるなと思った魚が、一瞬ビクついた。鱗を取るときにも、ビクつくのだが、その一瞬のビクつきは、予想外だった。死んだと思ったものが生きていたから驚いたのか、予想外だったから、印象に残ったのか、わからない。その一瞬で、ぼくの頭の中は、先ほどまで釣っていた海の中に潜っていた。小雨が降っていたり、連日が雨だったからか、いくつかの人工物が海の中を漂っていた。私たちが釣ってきたこの魚は、その中を泳いでいたのだ。その海が綺麗なのか、汚いのか、指標を持たない私には、判別がつかない。けれども、土日が釣り人で溢れるそこは、いくつかのゴミが散見される。単にそれは不快だし、それらは私よりも釣りの先輩たちがそこに置き棄てたものだ。また、遠くの場所から、海から、川から、山から、流れて来たものもあるだろう。

 友人には、何人かの環境家や、アクティビストと呼ばれる人々がいる。また、ぼくもいつからから、ゴミが落ちていると気になって、拾うようになった。単純に不快だからはじめたゴミ拾いだが、少し調べ始めると、予想外のインパクトがある。食べた魚は、おそらくマイクロプラスチックを食べているだろう。海は、山は、私たち人間にとって、魚たちにとって、理想のものとはどれほど距離があるのだろうか。どれくらい同じなのだろうか。ちょうど去年の今頃、フリースタイルバスケットボールを少しだけかじっていた。はじめて練習に行った体育館には日本3位の人がいた。すぐ横で、超人技を練習していた。ぼくは横で、リフティングやハンドリングの基礎練習。初心者のぼくにも、かれをはじめその場にいた先輩方は優しくて。その日から数週間は練習を始めた。その95%は路上で自主練をした。2回目か3回目くらいで、ストリートという言葉が接頭語としてついていることが面白くなった。普段は、ただ通り過ぎるだけの公道が、ぼくたちの練習場である。通行人に迷惑にならないように配慮しながら、時間や場所を見つけ、練習する。練習環境として、下を向いて歩きながら、以前とは違った目で路上を見る。一緒に練習をした人は、当たり前のように路上のゴミを拾っていた。ぼくは彼らの歴史や努力を本当に何も知らないけれども、自分たちの遊び場を自分たちで整備しているように感じられた。ゴミ、特にガラス片は練習の邪魔になる。

 普段、街を歩いていると、そこら中にゴミが落ちている。そこは公道で、みんなのものだったとしても、誰かが棄てたゴミを、ほとんどが無視して、一部の自主的な市民か、行政とか、民間団体が、それを拾っている。それが当たり前になっている。日本でいわれるpublicというのは、行政のもので、そこから個人は排除されてはいないだろうか。個人は、Publicからいつのまにか手を引いて、追い出されている。逆に、国がやるべき子ども食堂やホームレスの支援なんかは、自主的な団体によって主導されている気に見受けられる。東京都の現在の姿勢を見ていると、路上生活者の命をないがしろにしている。それらの根本は繋がっていて、Publicに、実体のある個人が迫害される時代・地域に、少なくとも首都圏は陥っていないだろうか。

 こういったことを書くと「ここが違うよ」と言ってくれる人が、いつか現れる。「あなたは印象でしか語ってない」「もっと現実を知りなさい、本を読みなさい」など。それはとてもありがたい。自分の知識をアップデートしたい。そして、ストリート、環境問題、行政について、考え、言語化し、なにかしのら行動を起こすためには、本を読む必要がある。これは感覚的な話だけども「Publicから個人が追い出されている」という思いつきに関しては、間違ってはいないと思う。私は、朗らかに、海を眺めてみたい。


2020年6月29日@米神ミヅカブラ





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