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今の窓から、江ノ島の空を思い出す。ノスタルジーという香りの分解。

写真は未来へのタイムカプセルだ。今日撮影したそのなんでもない日常は、未来のある日、見返されたときに、おもわぬ感情を誘発する。精神を、どろっとした鮮やかさで爆発させる爆弾に仕上がるかもしれない。一般的には哀愁や、ノスタルジーという言葉に接続されるその感情。解像度をあげて分解していったら、いったいどんな匂いがするのだろう。シナモン、八角、クローブ、檸檬、、、。明日の自分のために特性のシロップを準備するときも、同じような気持ちになる。香りを辿りながら、現在の体は、未来にも、過去にも、ゆらゆらと引き伸ばされていく。

技術の進歩はあれど、決して撮れない写真がある。過去の写真はどう頑張っても、2度とは撮れない。もし、ドラえもんのタイムマシーンが完成して、過去に行けたとしてもそれは旅行だ。わざわざ戻りたいとも思わない日常にこそ、ノスタルジー溢れる美しさがある。決して特別ではないつもの日常に、歳月という逆らうことのできない調理が加わると、涙が抑えられないものに仕上がる。江ノ島の家で、付き合ってもいない女の子と同棲していた。2人の生活時間は違うけれど、2人ともよく窓をあけて外を眺めていた。彼女はタバコを吸うために。ぼくは、何を眺めていたんだろう。ちょうど2年前の今頃から5ヶ月ほど一緒に住んで、彼女は世田谷へ、ぼくは葉山に引っ越した。

今日開けた窓は、その時とはちがう窓だ。しかし、この窓を開けたときに、夏が始まる匂いがした。まだずいぶん早いだろうし、いつもの夏とは絶対に違った夏がくる。それでも、空気の中にはこれまで過ごした夏を思い出させる粒子が含まれたいた。窓の風景は全然違うのに、江ノ島に住んでいたときの風景が、脳内で浮かび上がった。よく行っていた歩いてすぐのクロワッサン屋さん。あんまり買い物はしなかったけど、週に何度も通った貝殻のお店。太陽が昇るころに目を覚まして、毎日海に行って、朝焼けをみた。ビーチクリーンをして、ふてくされたり、嬉しくなったり。ぼくにとっての朝はそんな時間だった。

今はなんでもなくても、その大切さは後からわかるんだろう。

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